亀のはなし

2010年9月 6日 (月)

川口神社(銚子)の「亀の墓(墓石)」

川口神社の「亀の墓(墓石)」

 千葉県銚子に「亀の墓」があるそうだとの話を読んだことがあったので、見てきました。

海亀の霊とか海神の霊などと書かれた一群の墓石(塔)があった。そして、それらはそれほど古いものではなかった。

場所 銚子市川口町26378

神社の由緒、由来 

祭神 速秋津比売(ハヤアキツヒメ)の神で、古事記では別名水戸神(ミナトノカミ)と記している。「水戸神」とは港の神の意味。古代の港は河口に作られるものであったので、水戸神は河口の神でもある。

寛和2年(986年)の創建。四日市場の長者の娘延命姫は、安倍晴明を慕い、晴明と結ばれないことを苦にして入水した。その歯と櫛を祀ったことから歯櫛明神と呼ばれた。白紙明神とも呼ばれるようになり、明治3年からは川口神社。延命姫とは結婚したとの話もあるようだ。漁師の信仰が厚く615日(旧暦)には「大潮祭り」開催。

 川口神社は、利根川河口に面している。河口は漁港になっていて、ちょうどイワシの水揚げをしているところであった(94日)。河口に面して一の鳥居がある。駐車のスペースは車2台分ほどしかない。ほかに駐車スペースがあるかもしれないが、わからなかった。   

ややなだらかな石畳の参道を50mほど行くと二の鳥居がある。この参道は、二の鳥居の手前で道路によって分断されているが、道路は広くない。二の鳥居から上は石段になっている。石段の途中に三の鳥居があるが、鳥居の位置がやや変だ。石段は本殿まで続き石段の途中、三の鳥居の右側に一群の亀の墓がある。墓石または墓石塔と呼ぶのが良いようだ。この石塔群については、成城大学の小島孝夫(2003)の報告があるので参照されたい。実は、私は、直接見てはいない。

墓石群

 20基ほどの墓石塔があった。その中で判別できたものについて、碑銘を以下に記す。それらを年代順に並べてみた。ざっと見て回っただけなので、見落としがあるが。

 1.大正七年○月 海亀之霊 ○野○○

2.昭和四年十一月9日 海亀之霊 御嶽丸

3.昭和七年四月 海亀之霊 伊勢丸

4.昭和十四年十月 海亀之霊 ○○○

5.昭和十七年十一月吉日○ 海神之霊 白王丸

6.昭和二五年十一月十四日 海神之霊 ○○○

7.昭和二六年六月○日建之 海幸亀の霊 七面丸 (金)勘亀魚問屋

8.昭和二八年六月三日 海運亀之霊 第一村早丸 坂本正三郎

9.昭和三十五年六月二十七日 海亀之霊 東盛丸

10.昭和五十四年二月九日 海神之霊 尾張丸

11.昭和六十二年三月 海神之霊 第二十一富丸 久保甚建之

12.大漁神の石板あり(日付等は無し)

13.最大のものは2段の台にある墓石塔で海幸亀の霊の記載あり(日付等は無し)

最も古いものは大正7年(1918年)、最も新しいものは昭和62年(1987年)のものであった。主に網にかかって死亡した亀の霊を弔って建てたものと思われるが、亀自身を葬ったものか、荼毘に付したものか、記念のためのものか、このあたりも知りたいところ。

 海亀が事故死した月について見ると、2月(1頭)、3月(1頭)、4月(1頭)、6月(3頭)、10月(1頭)、11月(3頭)となっており、特に季節に偏りはないように見える。

 海亀の種類については、記載がないが、たぶんアカウミガメとアオウミガメがほとんどであろう。この亀の種類についてのデータがあると、海亀の生態の一部が明らかになって面白いと思われるが。

明治437月に「坂東丸」という漁船がオサガメを捕獲したらしく、その絵馬が飾られているとの情報を得ていたので、境内を探したが見つからなかった。社殿の中に飾ってあるのかもしれない。タイマイやヒメウミガメが網にかかった可能性も否定できないが、アカウミガメは九十九里にも大洗にも産卵することがあるので(68月)、夏の場合はアカウミガメの可能性が高い。アカウミガメの場合は親ガメばかりであろうが(亜成体は太平洋岸には分布しないようだ)、アオウミガメの場合は4050cm程度の亜成体の場合も多いと思われる。特に、10月から4月ごろに事故にあった亀はアオウミガメであった可能性が高いといえる。

そうなると、事故死した亀の多くはアオウミガメであり、この亀の肉は美味であるため、食べてしまった場合もあるのではなかろうか。

亀墓石の碑文

 亀の墓石、墓石塔には中央に「海亀の霊」と書かれている場合が多い。海亀の「墓」と書かれたものは一つもなかった。「墓ではない」のかもしれない。

 また、碑文は「海亀の霊」(5例)、「海神の霊」(4例)、そのほかに海幸亀の霊、海運亀の霊が1例ずつあった。この碑文からみると、海亀は海の神の一体(一種)または海の神の使いと見られていたようである。また海の幸との関連もあるようだ。御嶽神社の碑銘「神愛亀之霊」や「海神亀之霊」は、川口神社の墓石には無い碑銘であるが、意味は同じであろう。

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御嶽神社

道路隔てて神明町に御嶽神社があり、そこにも「亀の墓」がある。ただし、御嶽神社は小さな祠(社殿)があるだけ。祠の前にある木の鳥居も半ば朽ちかけている。北側にも鳥居がある。この鳥居はコンクリートでできたやや立派なものである。しかしこの鳥居の先はササやぶになっていて、神社に通じていない。いや、通じているのであろうが、笹に埋まってしまっているといったところか。かろうじて存在しているというような印象を受けた。祭神は金山彦の命のようである。

御嶽神社の亀の墓

ここにある亀の墓石は2基を確認した。他に1基墓石塔があったようであるが、亀のものと思わず見逃してしまった。碑銘塔を以下に記す。

1.大正三年八月二二日 神愛亀之霊

2.昭和四十二年九月吉日建之 海神亀之霊 御嶽丸 船主西広秀子 沖合鈴木正次 合友荒木喜三郎 乗組員一同

なお、御嶽神社の海亀墓石塔にまつわる伝承がある。「昭和42年,イワシ漁の最中にウミガメを巻き込んで殺してしまった。その後一ヶ月ほどは漁に出ても網に入ったイワシが皆出て行ってしまうことが続いたが,石塔を建立して供養すると漁ができるようになった。というもの。(「ウミガメ埋葬習俗の発生と定着-千葉県銚子市域のウミガメ墓群の事例を中心に-」成城大学 文芸学部、小島孝夫(2003)。」

昭和42年9月吉日の石塔はこの時のものと思われた。珍しく、船名のほかに船主の名前などが刻まれている。

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暑い日であったためか、やや散漫な訪問であった。

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近くに「ウオッセ21」という魚市場があるので立ち寄ると良いかもしれない。新鮮な魚を売っている

END

2010年7月18日 (日)

ウミガメのはなし、あれこれ(はじめに、第1章)

ウミガメのはなし、あれこれ(はじめに、第1章)

第2章から第6章まではブログに掲載しましたが、第1章と第7章がまだでした。第7章は「人文学的資料」を集めたものですが、これはやや範囲が広いために、集めだしたらきりが無く、まとめるのに苦労しているところです。今回は、「はじめに」「第1章」を載せました。これで一応完了と見ることも出来ます(筆者)。

                                                                     

はじめに

 ウミガメ、ハ虫類に属している。魚類とも違うしカエルの中間(両生類)でもない。しかし海に生活し、陸に上ることがないので、漁師達さえも、捕まえたウミガメを水中に沈めた「活け簾」に放って殺してしまった例があると言われる。そのウミガメは水中生簀の中で溺れて死んでしまったのである。ウミガメはクジラやイルカ同様肺呼吸をする生き物であることがわかる。

 ハ虫類は、魚類と両棲類そして鳥類・哺乳類との間にあって、肺で呼吸をするが、変温動物である。人間のような恒温動物ではないが、体温を一定に保つためのエネルギーが節約できるので、絶食にも良く耐える。変温動物であるがゆえに、温度の低い冬の間は運動を停止するか(冬眠)、暖かい地域に移動する必要がある。しかし、移動するハ虫類、渡りをするハ虫類は、陸上では見かけない。その理由は、移動能力が劣っているためのようである。ヘビやカメはピョンピョンと飛び跳ねるような歩き方ができない。地面に腹をこすりながらの移動法では、その移動できる距離は限られてしまう。昆虫は変温動物であるが、蝶などでは渡りをするものが知られている。鳥は恒温動物であるが、渡りをする種も多く、これは移動能力が高いことと、餌が関係していることが多いようである。

 さて、ハ虫類の特徴としては、変温動物であることのほかに、脳味噌が小さいこと、体に鱗があることなどが知られている。心臓は2心房1心室とかいうことも学んだかもしれない。知られている動物としては、ヘビだとかカメ、トカゲ、ワニなどで、冷血動物であり、血も涙も無い生き物ではないかと思われていることも少なくない。ここに述べようとするウミガメは、血も涙もあるハ虫類である。

 温血の動物は、寝ているときに夢を見るのではないか、夢の中で過去を振り返っているのではないかと思えるような様子を、かい間見せてくれているように思う。犬も猫も夢を見るようである。私はそれを信じている。犬や猫と一緒に寝てみれば、誰でも経験することであろう。私はスズメも夢を見ると信じている。そのような経験をしたことがあるからである。それではワニやヘビはいかがであろうか。ヘビやトカゲは冬眠の間に夢を見るのであろうか。人間を冬眠状態にできる技術があったとして、その状態の人間は夢を見るのであろうか。事実は、人間の理解をはるかに越えている場合があるので、実は冬眠中のヘビは四六時中夢の世界で存分においしい餌を食べていないと、誰がいえようか。このあたりの間接的な証明は、将来のその道の専門家に譲るとしよう。

 海に棲むワニであるイリエワニは移動能力があるので、「渡りをするハ虫類」ではないのかという疑問が湧いてくる。イリエワニは、名前が示すように入り江または湾に生息するワニである。東京から1,000kmほど離れた南方海上に小笠原諸島と呼ばれる島々があるが、それより南西の、ちょうど大阪の真南2,500km程のあたりにパラオ諸島と呼ばれる島々がある。その島にイリエワニが住んでいる。体長7m以上のものが捕獲されたこともあり、その頭の部分がパラオの博物館に展示されているので、それを見た方もいると思う。また、南アメリカから1,000kmも離れたガラパゴス諸島にも、海にオオトカゲが生息している。しかし、残念ながらこれらのトカゲ、ワニの仲間は渡りに成功しなかったようである。小笠原になぜイリエワニが生息していないのか、かつても生息していなかったのかという疑問は、やはり出てくる。海水温が低すぎるとは思われない。サイパン島にかつて8ヶ月ほど滞在していたときにも、たまにワニを見たというような話を聞くことがあった。また、サイパン島では普通に見られるヤシガニも、小笠原には分布していない。しかし、そんな中で一度だけヤシガニが捕獲されたことがあった。しかも成長した親ガニであったことが、いっそうミステリアスである。その標本は、「小笠原海洋センター」に飾られている。

もちろん、かつてはネッシータイプの恐竜の仲間が大海を渡り歩いて、いや、泳ぎ回っていた時代があったようではある。この仲間が大回遊をしていた可能性は否定できない。この違いはたぶん遊泳力の違いによるのであろう。

 カメの仲間は、海にも川にも陸にも適応しているハ虫類であるが、気温の制約を受けており、寒い地方では冬眠してしまう。しかし前足をオール状に変化させたウミガメ類は、世界の海を遊泳することが可能となった。そして、大気の変動ほどには大きな温度変化の起こらない海洋中において、渡りを発達させたのであった。渡りをするハ虫類、それがウミガメなのである。とはいえ、ある地域からあまり遠くへは移動しないウミガメもいる。

 カメ類は世界に250いるとされるが、そのうちウミガメ類は、8種が知られているのみである。ウミガメは、カメ類の中ではマイナーな存在であり、幾多の生物進化における歴史上の困難の中で生き延びるのがやっとのことで、少数の種のみが環境変化を克服してきたのである。たぶんウミガメとしての進化は、体の大型化、遊泳力の強化、餌への適応などをめぐって強化され、無限とも思われる海の広さにもかかわらず餌の制約等によって、規制を受けたと思われる。なぜ、イリエワニ型(内湾型)のウミガメは淘汰されたのか、なぜ、アーケロンのような、古代に生息した大型のウミガメは現在存在しないのかは、自然史が私たちに回答を求めている難問であるが、少しずつそれは明らかになってきている。イルカ類は、たぶん「犬」程度の大きさのホ乳類から分化したと思われるが、現在でも世界中に広く分布し88種が繁栄している。ウミガメ類は何ゆえに分化が進んだ時期があったにもかかわらず、現在では種数が少ないのであろうか。

 一般に、一度陸に上がった生き物がまた陸から海に進出してゆく場合には、大型化が見られるようである。

 日本に上陸産卵が知られているウミガメは、アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイの3種であるが、もっとも北に産卵するウミガメはアカウミガメであり、その孵化が可能な北限は日本の太平洋側では千葉県のあたりであろう。一般に産卵が話題になる地方は、静岡県以南の太平洋側、島根県以西の日本海側、九州の東シナ海側の地方、南西諸島、沖縄であり、基本的にはアカウミガメの北限は温帯下部またはハマユウの生育北限に一致すると思われる。勿論、ウミガメの卵の孵化には砂浜の温度が関係するので、砂浜の色が黒く地温を高く保てる場合は、産卵できる浜は、より北まで分布すると思われる。しかし、ウミガメ類の雌雄は、発生中の地温の影響を受けて性が決定するので、気候の温暖化または寒冷化が長期に続くと、いずれの場合もその種にとって絶滅の恐れがある。

ウミガメの繁殖期間(平均寿命など)はよくはわからないが、たとえば平常より2℃程度低い寒冷気候が30年程度続いたとすると、場所によっては雄ばかりが見られ、産卵個体数が激減する浜が見られるようになるであろう。逆に温暖化によってもメスの割合が多くなり過ぎて、孵化個体数が激減する恐れもある。このような不安定な要素を抱えながら生き長らえてきたウミガメ達について、より詳しい情報を提供するのが私の仕事の1つであると考え、ここに概略を示すことにした。私の本当の目的はウミガメとの共存である。しかし、現在のように、発展途上国がしゃにむに近代化を急いでいる現状を見ると、とりあえず、日本、中国南部を含めた東南アジア地域における産卵地としての重要拠点の摘出とその場所の保護が急務であろう。そして、ウミガメを保護するためにはウミガメの生活史を知っておく必要があり、それによって有効な保護手段を取り得ると思っている。

  これまでにもウミガメについて一般向けの本が出されているが、まだまだ野鳥の本ほどにぎやかではない。そこで私見を交えたウミガメの入門書を書いてみた。この本が、ウミガメの分布とその生活史を知るための一助となることを希望している(20107.18)。

序章

1)屋久島いなか浜に上陸したアカウミガメとアオウミガメの産卵行動

 以下に、私が屋久島で初めてウミガメを観察したときの、「アカウミガメの砂浜での産卵の様子」を述べた記録(昭和51年:1976年の古い記録)をまず紹介しましょう。もう35年も前の話です。

 ウミガメの産卵行動は、大きく分けて、上陸後の産卵場所の探索、穴掘り、産卵、穴埋め、カモフラージュ〔砂かけ〕、帰海に分けられると思われた。

(1)  上陸

ウミガメは、夜の9時ごろから翌朝の3時頃にかけて上陸してくる。ばらばらに上陸してくるのではなくて、ある日は午後10時ごろに多く、別の日には午前1時ごろというように日によって違いが見られた。そのため潮の干満と何らかの関係がありそうに思われた。

 上陸から産卵を終えて海に帰るまではおよそ2時間余りかかる例が多かった。この間に一番勝手の利かない陸という場所で、最も重要な任務を果たす。

 ウミガメは海とほぼ直角に上陸してくる。上陸すると首をもたげて左右に振る。そして前進し、休み、首をもたげ、首を下ろしてまた前進する。これは目及び鼻を使って浜に異

常が無いかを調べているらしい。こういうときに光が見えたりすると、ウミガメはじっとうずくまる。ウミガメは息を止めたままで砂浜を前進する。そして立ち止まると息を大きく吐き出し、大きく吸い込む。そしてまた息を止めて浜を前進してゆく。

(2)  産卵場の探索

普通ウミガメは上陸後もほぼ海岸線から垂直に進むものが多い。そして大波も届かぬほど上のほうまで行き、産卵場所を探す。これにかかる時間は15分程度から1時間ぐらいまで大きく差があり、時には産まずに帰ることもある。穴を2回、3回と掘り、やっと満足できる所を見つけて産卵する場合もある。崩れやすい砂地、砂の下に石や木などの障害物があるところでは、掘るのを中止してしまう。浜の上り口が急坂になっていてそこを登りきれずに、満潮時に水をかぶるような所に穴を掘り産卵してしまったウミガメも観察された。高い場所に産む方が、卵が孵るのに有利であることは確かだが、早く生みたいという状況が切羽詰ってくると、このような全く不利な場所に産んでしまう場合が出るようであった。

(3)  穴掘り

気に入った場所が決まると表面の砂を払って、穴掘りを始める。穴を掘るのには後足を使う。穴はほぼ垂直に掘られてゆく。穴の直径は30cm程度、深さは50cm位であるが、足ひれの大きさ、長さに関係して穴が掘られているようである。これにかかる時間は20分から40分くらいである。

アオウミガメの場合は、前足、後ろ足を使って自分のからだが隠れるほどのボディピットと呼ばれるようなものを掘る。産卵穴の大きさは少し大きめで、穴の深さは70cm80cmと深い場合が多かった。これはボデイピットの深さも関係すると思われた。

(4)  産卵

穴を掘り終えると、そこに20分から30分かけて120個前後の卵を産み落とす。アカウミガメの卵は球形で白っぽく、革質の卵殻を持ちピンポン球のようであるが柔らかい。殻の直径は40mm前後で、重さは38g程度である。時に卵黄が2個入ったもの、3個入ったものも見ることがある。卵黄の入っていない卵が産み落とされることもあるが、その場合、卵の大きさは通常のものより小さい。

 アオウミガメのものは少し大きく47mm程度、球形で白いが少し青味を帯びる。

 卵殻が皮のように丈夫な膜で包まれているのは、卵が落下(最初の卵は50cm程度落下する)して砂に落ちたり、卵の上に落ちたりしたときに割れにくいようになっているらしい。卵は1個または2個ずつ産み落とすが、時には3個以上が1度に産み落とされることもある。

(5)  穴埋め

産卵の終了は、前触れも無く後足で穴を埋め始めることでわかる。砂を、後足を使って穴に入れる。穴の上は入念に踏み固められる。前足を突っ張り、体重を後足にかけてしっかりと何回も踏み固める。

(6)  砂かけ(カモフラージュ)

10分から20分位かけて穴の上を踏み固めると、少しずつ前進しながら右前足と左後足、または左前足と右後足を使って砂を産卵穴の上とその周辺にかける。その後、両前足と両後足を同時に使うようになる。前足で掻き揚げた砂は背中を越えて飛び、穴の後方まで砂がかかるので、産卵場所付近全体が砂を不規則に耕したようになり、ついには穴の所在が分からなくなってしまう。産卵穴より2m位はまっすぐに進みながら砂をかけているが、その後次第に左または右に向きを変えつつ自分の後ろに砂をかける場合が多い。

(7)  帰海

砂をかけながら前進しているうちに自分の体が隠れるほどの溝ができる。そこから這い登るとあとは一路海に向かって進む。海までは、休み休み行くが、10分前後で海中に去る。

ウミガメは目及び耳が鋭いと書かれている本がある「無名の者たちの世界Ⅰ」が、私の観察では耳は殆ど役に立っていないようであった。ウミガメの近くで、大声で人が話したりしても、気にせず場所探索をし産卵した。目と鼻は役立っているようであった。しかし、ウミガメはよほどのことが無い限り、一度産卵を始めるとその後の一連の行動を中断することは無い。砂かけ(カモフラージュ)までの行動は一連のものとして組み込まれているらしく、普通は外部に影響されない。産卵中は目にライトを照らしたりフラッシュを焚いたりしても、ウミガメの横でタバコを吸っても、産卵、穴埋め、砂かけを中止しない。

ウミガメは1回に4kg前後の卵を産み落とすと推定された。

注)1977年と1978年に行った個体識別調査によって、ウミガメは産卵を中断することが明らかになった。人間の行為(ライトを照らしたり、写真を写すこと)により、産卵を途中で止めることがあり、その場合は、残りの卵をその日から数日以内に産むことが判明した。ウミガメは産卵を中断しても、その後の行動である穴埋め、砂かけを中止することは無い。

) 食用

 ごく最近まで、アカウミガメの卵は広く食用とされてきたが、現在ではウミガメの産卵地及びウミガメが保護されている地区が多くなった。串本地方では1973年ごろは、アカウミガメの肉料理は「初夏の風物詩」となっていたようだ。

 縄文時代の遺跡から多くのカメ類が出土するが、食用にされていた証拠であろう。そしてそのうちの7割がウミガメであるとされる。

1章 ウミガメの進化のあらすじ

(1) ウミガメの仲間たち

 ウミガメは、生物学では脊椎動物に分類されている。背骨がある動物の仲間であり、カブトムシやトンボのような背骨のない動物とははっきりと区別できる。脊椎動物は、魚やイモリ、トカゲなどの水中生物や、地面を這う動物から、恐竜や鳥や猿などの哺乳類まで、広く地球上を我が物顔に歩き回っている動物から、ひっそりと暮らしているネズミや蛇やモグラなどまで、非常に多くの種類がある。これらの脊椎動物の物語は、多くの人たちによって語られてきたし、今後も新知識をもとに、フィクションも交えて語られて行くことであろう。

 ここに取り上げたウミガメは、ハ虫類というグループに入れられている。太古の昔に棲息したと言われるハ虫類には、現在生き残っているのタイプ以外に、温血の、又は温血に近いもいたらしいとの仮説も提出されている。ハ虫類の研究は、化石についても、現在生き残っている種についても、まだまだ興味深いものがある。そして今後とも人類に役に立つ新知見が表明され、生物学を書き換えて行くに違いないと期待される分野である。

 カメの仲間は、ほぼ完成品として地上に出現する。そして、河川、湿地に分布を広げた。一部は大きな湖、大河に進出し大型化した。しかし、陸上生活の中で頭や手足を甲羅の中にしまい込む形態を手にいれた種にとっては、天敵は殆どいなくなったようである。再び水中生活に適応したカメの一部やウミガメは、頭や手足を甲羅の中に引き込められなくなった。海に適応を開始したウミガメたちは、急激に前足をオール状に変化させ、水分を得るための海水淡水化装置を体内に身につけたのであった。

この装置を身につけている生き物には、一部の海鳥とウミヘビなどが知られている。イルカやクジラに海水淡水化装置が備わっているか、ジュゴンやマナティーについてはどうか、勉強不足のため私は知らない。彼らは、餌から水分を入手し、塩分濃度の濃い尿を排出することによって、体内の水分状態を良好に保持しているのであろう。

海水を淡水化すると、結果的には濃厚塩水を排出することになるが、ウミガメは涙腺を使って涙として排出しているようである。海鳥は、やはり涙として排出しているようである。海鳥の鼻筒が長い種は、これが濃厚塩水排出と関係があるかも知れない。

 淡水産のカメで、ウミガメに似て前足をオール状に変化させたカメがいる。その名はスッポンモドキで、その生息地はニューギニア島及びオーストラリア北部の大きな河川の淡水域から河口の汽水域であるとされる。1属1種で、甲長は70cmと大型のカメで、産卵時期以外は上陸しないとされているから、ウミガメと淡水ガメの中間的な存在である。近縁種で他に知られた種がいないのは、このような環境で生息するのが難しいことを示している。たぶん、天敵が多く、人間による捕獲の対象とされやすかったのであろう。スッポンモドキはペットショップで売られていることもあるので、見た方もいらっしゃると思う。

(2) 古代のウミガメたち

 地球上に生命が発生してから35億年程度が経過したとされるが、3億5千万年前ごろ両生類(カエル、サンショウウオの祖先)が現れ、その後、中生代すなわち恐竜の時代がくる。リクガメやウミガメもその頃に姿をあらわす。中生代は2億4,500万年前から6,500万年前までを言う。

最古のカメは、三畳紀後期(2億1千万年前)の地層から出たドイツのプロガノケリス(ケリス及びケロニアは、ギリシャ語でカメの意)で、繁栄したらしい。その大きさは、甲長で60cm程度とされる。その生息地は湿地と推定されているが、それ以前の、乾燥地に棲息したカメの化石が今後出ることを期待したい。三畳紀からジュラ紀のカメ類は9科であるが、白亜紀のカメ類は40(ウミガメ類3科)が知られている。日本でも中部地方の手取層群などから白亜紀のカメの化石が出ている。ここで、中生代とはどういう時代かを辞書で調べると以下のように出ている。

地質時代の一区分。古生代と新生代の間の時代で三畳・ジュラ・白亜の各紀に分ける。動物では巨大な恐竜・魚竜などの爬虫類をはじめ、軟骨魚、硬骨魚、アンモナイトなど、植物ではソテツ、シダ、マツなどの裸子植物が繁栄した。この時代から新生代にかけてアルプス造山運動が起こり、アルプス、ヒマラヤなどの大山脈が形成された。

ウミガメの一種オサガメについては、新生代第3紀から現生種と同じものが出ているが、それ以前のものは知られていなかった。しかし最近北海道の白亜紀の地層からオサガメの祖先型に当たるカメ(オサガメ科・メソダーモケリス)の化石で、甲長1.5mのものが産出されている(平山廉:最新恐竜学)。これは国外では未発見の種である。その当時の北海道は暑かった事であろう。

ジュラ紀(2億年前~14,500万年前:中生代)には三畳紀(23,500万年前)同様カメ類はヨーロッパ、アジアで多く発見されている。ジュラ紀のカメ類は、淡水生あるいは浅海に生息する水陸両生のものが増えている。白亜紀には化石は増加し大型のものが多くなった。ジュラ紀に見られたプレシオケリスは海生とされるが、遊泳能力はそれほどでもなかったらしい。ブラジルの11,000万年前の地層から発見されたサンタナケリスは、世界最古のウミガメ類とされるが体長は20cmと小型であった。ヒレ足の発達は悪いが、目の内側の涙腺が大きく、塩分濃縮装置があったと推定されている。約1億年ほど前になって、巨大なウミガメが姿を現す。中生代白亜紀に棲息していたプロトステガ科のアーケロン(アルケロン)で、甲長が2.2m、全長が4mもあった。この甲らの剥製(複製)には、大阪の天文館にある水族館「海遊館」や「名古屋港水族館」で、対面できる。名古屋港水族館の方が、大きさを確認し、記念写真を撮るのにも有利である。

 アルケロンが棲息していた白亜紀は、ジュラ紀とともに恐竜の時代であり、「大きいことに価値を見いだそうとした時代」かもしれない。しかし、大きいことは、良いことだとは一概に言えないことが、気候の異変による多数の種の絶滅によってその後証明されるわけである。 

 その後も白亜紀の後半には25属、数十種類のウミガメが生息したらしい。多くのウミガメが広い海を我が天下にせんと、しのぎを削ってきたらしいのである。しかし、クジラやイルカ、アザラシやアシカのように、多くの種に分かれて棲み分けることは一時期だけはできたようだが、結果的には出来なかったらしい(現在は5属8種)。たぶん、ハ虫類としての制約、変温動物としての制約が、生息環境を、熱帯、亜熱帯に限定し、大きい生物であったがために、多様化が出来なかったのではなかろうか。

第1章End 

2010年5月31日 (月)

ウミガメのはなし、あれこれ4

5章 保護(人間の害からの保護)

 種の保護は、社会運動であろう。そして、社会的に認められた専門家、学者による保護の意見は尊重される。

 種とは何か、というややこしい問題は、ここでは深く考えないことにしたい。地球が生まれて50億年の間に、多数の種が発生し、進化し消滅していったことは、確かなことである。それゆえ、今後とも種が発生し、進化し、消滅してゆくことも確かである。そして、地球人類60億人のうち、保護を考えている人たちは、微々たるものにすぎない。たぶん地球が存続する限り、新しい種は必要に応じて発生を続け、進化をし続け、消滅もし続けてゆくであろう。

自然がなければ、たぶん人間は生きてゆけないであろうが、現在地球上に存在するほどの生物が必要であろうかという疑問は起こる。ガイア仮説によれば、スイセン程度の植物が地球を覆えば、大気は安定し、気温の変化も人間の生息可能な温度範囲になるようである。この場合、スイセンがなければ、地球の温度は、変動幅が大きすぎて、人の住めない状況となる。

 現在の世界的な保護運動の風潮は、種の多様性の保護が叫ばれている。しかし、地球環境の安定には、それほどの多様性は必要ないようである。一つの種が絶滅すれば、二度と再びその種は地球に甦らないとされている。アカウミガメが絶滅すれば、二度と生きたアカウミガメに会うことは出来ないということだ。もちろんその通りであろう。プテラノドン(中生代の翼竜)は滅びてしまった以上、二度と会えないわけだ。しかし、その生き物が生きていた空間、ニッチェと呼ばれることがあるが、その空間は、別の生物が入り込み、新しい生態系を形成するのが普通である。新しい生態系を形成するのに、100年かかるのか、1万年かかるのかは、そのとき時のことであろう。しかし、それは地球の歴史からみてそれほど長い時間ではないであろう。

 種が日々絶滅しているのは人間のせいだという意見がある。現代においてはそのとおりであろう。だからといって人間の存在そのものを「悪」だとするのは見解の飛躍であろう。冷静に考えてみるべきである。

1) 生活史の解明と種の保護

 野生動物を保護する場合には、一般にその種の生活史を明らかにする必要がある。たとえばサンショウウオの仲間のような両生類の場合は、産卵のための清流が必要であるばかりでなく、成体になって過ごすための森林が必要である。チョウチョウの場合には、そのチョウの捕獲を制限すると同時にその食草を保護しなければならない。ウミガメ類8種は、それぞれの生活域を持っている。そして、種ごとに食べ物が違うのである。アオウミガメはアマモや海藻を食べ、オサガメはクラゲを食べる。そして、分布する地域や産卵する砂浜が違っている。このように、生活史の解明は、その種の保護に貢献するのである。

2) 雌の保護

 ウミガメの場合は、特に雌の保護が重視される。雌は、産卵のために砂浜に上陸するが、そのときは、無我夢中に産卵行動を行うので、外敵や人間に最も攻撃され易いのである。

ウミガメの雌を保護するということは、安全な産卵を保証することと同じであろう。

 もう一つは、雌の比率を高める方法がある。ある年の気候とある種の上陸産卵頭数のデータをインプットすると、その年の孵化個体のおおよその雌雄比率が算出されるようになるであろう(そうしたい)。その予測の元に、雌の比率を、高めるための人工孵化頭数と温度を設定するのである。前提としては、ウミガメの状況把握ネットワークが完成されていなくてはならないが、このネットワークは、日本ウミガメ協議会を通じて築かれつつある。ボランチィアに委託しても構築が可能である。必要なのは、汗水垂らして現地の暑い砂浜から、直接・間接の生のデータを採る人たちである。これらの人たちをいかにして集め優遇することができるかが、最大の問題ではないか。

3) 環境の保護

 生活史の解明により、生息環境や産卵場が明かとなるであろう。その結果、どの程度の範囲に於いて、どの程度に人の影響から保護すべきかが、明らかになるであろう。これはやや大変な作業であるが、その結果を行政に示し、納得させるのは、もっと大変な作業となる。アカウミガメの保護が、その地に於ける保護が、大切であることを納得させるための、可能な限り広く多くの知識を集めて準備をしておく必要がある。経済を発展させようと言う力は非常に強力であり、それは必要なことであるが、環境の保護は、経済の発展に対立する面がある。

 その土地におけるウミガメの保護と開発とのバランスにおいて、選択を迫られるケースが日本でも、アジアでも続出することであろう。あるところでは保護派が勝ち、あるところでは負けることになろう。大きくみれば、自然は新しい平衡状態をつくるために進んでゆくであろうから、大した心配はいらない。身近かな問題と考えれば、自らまき散らしたごみは自分で拾うのが義務であるように、破壊した自然を復元するために努力してゆくであろうし、そのための技術も開発される。

 現在のように、人口が増大し続けている場合は、人口の大発展地区と保護地区を明確に区分けする必要もあろう。完全保護区域、半保護区域、共同利用区域、人工区域の様に区分けする方法である。この区分けを完全にするには、それなりの経済発展がまた必要なことも理解しなければならない。先進国における保護には、やはり経費がかかるということを理解する必要があろう。

生息環境の悪化

 人間の活動または開発は、世界中のウミガメにとって生息場所、産卵場所を狭めている。土地の埋め立て、住宅供給のための干潟の埋め立ては、多分千葉県の東京湾側が最もひどかったであろうが、幸いにしてウミガメは主に外洋の浜に産卵するので影響は無かったが、これは現在東南アジアの各地で起こっていることである。リゾートホテルの建設は海岸に建てられることが多い。ウミガメは街灯などの光を避けて産卵のために上陸してくる。また、産卵終了後は明るい方向、すなわち海に向かうわけだが、街灯や建物の光に惑わされる。子ガメは孵化すると明るい方向である海に向かうが、街灯の明かりに引きつけられて街灯の下に集まる例が知られている。工業地帯の不夜城のごとき明かりの群れ、港なども産卵場所の減少に寄与している。

 南洋におけるエビトロール漁業は、毎年数千頭のウミガメを殺している。海の汚染とともに重油の流出事故もウミガメにとって脅威である。ビニール袋やその他のプラスチック製品もウミガメが誤って飲み込み、胃や腸に滞留して被害を与え、時には命取りとなる。日本以外の大抵の国で行われている海軍の軍事訓練も、悪影響を与えている。

 オマーンの南海岸では今でも毎年1,000頭程度のウミガメが捕獲されているといわれる。オマーン首長国ではウミガメの産卵地への観光客の出入りを制限している。南イエメンでは1986年に漁業資源局がウミガメの捕獲中止を表明した。

 タイマイが減少している理由は、他のウミガメ同様生息地や産卵地の減少のほかに、べっ甲の取引によっている。日本は世界中のべっ甲を買い付けていたが、今は輸入を中止している。

                                       

4)       小笠原のウミガメ保護

 小笠原は日本最大のアオウミガメの産卵地であり、明治時代には年間1,800頭が捕獲された時期もあった。そして、急激に頭数が減ったため1910年より人工孵化放流事業が開始された。その成果は上がったとは言いがたいが、捕獲時期の制限、卵の孵化放流という保護のあり方は、当時としては画期的なことであったと考えられる。1968年の小笠原返還後は、東京都小笠原水産センターによってその事業が継続され、倉田洋二所長のときに大きな盛り上がりを見せたことを記憶されている方もいると思われる。私は1982年に家族で小笠原に移住し、水道も電気も無い生活を3年ほど過ごしたが、その時に倉田洋二先生に大変お世話になった。

 小笠原のウミガメ保護増殖事業の大半は、財団法人・小笠原海洋センターに引き継がれた。このセンターは、昭和57年に開館した。そして、日本で唯一のウミガメの情報誌「うみがめニュースレター」もここで発行されている。

5) 将来展望

 小笠原以外の地域でも、古くからウミガメの保護に取り組んできた個人、組織、漁業組合などもある。鹿児島県のように「海がめ保護条例」を制定したところもある。今後ともウミガメの生活史の研究とあいまって、保護の方法にも精度が上がってゆくと思われるので、期待したい。

6章 ウミガメの研究者たち(日本編)

1) アカウミガメの研究者

 特に野外での研究者を紹介する。

     箕作佳吉(1857-1909)

東大理学部動物学教室の初代教授で、ウミガメやスッポンを材料としたハ虫類の発生の研究は世界的なものであった。1891年に静岡県御前崎にて実験用のウミガメ卵採集旅行をしている。

②内海富士夫 1943 海洋の科学3(11)

 和歌山県白浜におけるアカウミガメの産卵の報告。

③堀田英之(徳島県水産試験場技官)・近藤康男(徳島県日和佐中学校教官)

 1950年に徳島県日和佐町大浜海岸で617日から815日まで調査し、上陸頭数、産卵状況、水温等を調べている。このときに産卵後のアカウミガメを解剖した結果、「体内に長径33.334.1mm短径32.633.4mmの、産出卵とほぼ同形の卵が十数個と、鶏の卵巣卵のような大は2.5mmより小は米粒大の卵が非常に沢山観察されるので、同一個体のアカウミガメの産卵は、相当長期に及び、数回に分けて産卵するものではなかろうかと推定される」と述べている。また、この当時すでに、カメ観光客が多いと述べている。

④内田至氏

 アカウミガメの研究の第一人者は、内田至氏(現在名古屋港水族館館長)であろう。四国の高知県蒲生田の浜でのウミガメの産卵行動の科学的研究が、日本の研究の方向に大きな影響を与えた。姫路水族館館長をしていた時代に、基本的なアカウミガメの行動、日本の分布を明らかにし、海外の文献を渉猟し、ウミガメ学入門というシリーズを発表された1982-1984年)。しかし、これが教科書のように製本されたかは、知らない。

 内田氏の後継者は数名いるが、ほとんどが目だたない研究者である。たぶん、内田氏が、自らの地位や名誉に執着を覚えるタイプの人間であるためらしいのである。内田氏の書かれた論文の引用文献を見ると、多くの場合、広く文献を当たっているようには見えない。自分がそれまでに発表した論文と、海外の研究者の論文が多いのである。勿論私の報告が引用されたことはない。私は、屋久島でアオウミガメの産卵を確認した(1976年)折りに、彼に信用されず、孵化した子ガメを30匹持参したが、その後これらの子ガメがどうなったか、知らせてくれなかった。そして、私が屋久島でアオウミガメの産卵を最初に確認した人間であると紹介してくれたこともない。

 内田氏の書かれた「ウミガメの大洋航海」は、雄大な仮説であったが、近年この仮説が証明されようとしているかに見える。

1970年代にウミガメの産卵行動の研究をしていた人たち

宮崎県の中島義人先生と、静岡県の河原崎芳郎先生の2人が著名な人であると思う。また、串本(和歌山県)の「串本海中公園センター」職員の宮脇氏らは、沖縄県の黒島でウミガメの調査を行っている。黒島はアカウミガメのみではなくアオウミガメ、タイマイも上陸する特異な浜であった。

中島義人先生は、宮崎大学の教授をされていた方で、宮崎県教育委員会の元でアカウミガメの研究を続けられた。大学退官後も毎年テーマを決めてウミガメの研究をされてきており、現在のウミガメ行動学研究、特にフィールド研究の第1人者であると思う。多くの新事実を明らかにされたが、標識放流によって、親のウミガメの秋冬の生息地域の1つが東シナ海であることを明らかにされた。中島氏は現役で活躍されておられる。

 河原崎芳郎先生は、御前崎小学校の先生をされていた方で、アカウミガメの北限に近い御前崎海岸の重要性をしっかりと認識し、1980年に国の天然記念物の指定を受けている。先見の明のある方であったが、どこか孤高の人という感じがした。彼のウミガメとの関わりは本になっている。退職後もウミガメの保護と教育に専心されていたが、惜しくも1990年に亡くなられた。

 1960年代の公害の時代にウミガメ保護に立ち上がって、現地で継続調査をされた方は、中島先生と河原崎先生が嚆矢であろう。

 1970年代は動物行動学や生態学が流行(はやり)だした頃で、京都大学を中心として、サルの行動研究が行われた。中西悟堂氏を中心とした、鳥の行動研究は、学問とやや離れた感じで始まったが、信州大学などでは、羽田健三先生の指導で学問的研究が行われ、仲村登流氏らにより、生態学的な調査も行われるようになった。 

 日本のアカウミガメの産卵地は、多くの人たちによって調査研究されるようになってきた。それまでの無料奉仕や自主研究の時代から、各県の教育委員会や環境関係部署が、ウミガメの産卵地を保護区に指定するようになり、補助金を出し、監視員を置くようになってくる。

2) アオウミガメの研究者

 やはり、最初に挙げなければならない人は倉田洋二さんではなかろうか。彼は、内田氏とは対称的な部分が多い人である。彼は、東京都小笠原水産センターに勤務されていたときに、アオウミガメの研究をやられていた。アオウミガメの肉はおいしいので、保護増殖して、永遠に利用しようというのが倉田先生の考えであった。だから、私は、倉田先生の元で、アオウミガメの解体について学んだ。勿論、その肉を刺身で食べたり、内臓の煮込み料理をつくったりして舌鼓を打ったこともある。

 

 私が手にかけたアオウミガメは、50頭程度であったろうか。ウミガメを殺して食べるという行為は、1980年代の自然保護運動が民間のものとなった時代においては、非難すべきものであったが、保護とは保全であるという考え方は、捕鯨において、日本が主張してきたことであり、アオウミガメや、タイマイにも言えることであろうから、私は大層倉田先生に引かれて、小笠原に家族諸とも移住してしまい、電気も水道もない生活を3年以上もする羽目に陥った。そのとき、4人目の子供が生まれたのであった。

 さて、話は脱線してしまったが、倉田先生は、小笠原でのウミガメ調査を継続され、小笠原をさまざまな面で紹介するのに貢献された。特に海洋保全協会が父島のビョウブ浦に小笠原海洋センターを開設するのに並々ならぬ努力を払われた。

 さて、アオウミガメの孵化を最初に手がけたのは、小笠原島内務省出張所長の小花作助氏で明治10年のことといわれる。その後、鏑木余三男、藤森三郎、神崎陽吉、遠山宣雄氏らが人工孵化事業を推進されたが、昭和15年に中断された。

 戦後は昭和43年に日本に返還されて以後、倉田洋二氏らの手により再開された。小泉正行、米山純夫、木村ジョンソン、青木雄二、細川進、菅沼弘行、島谷正、諌山英一、諌山明子、江藤真一、堀越和夫氏らがその後活躍された。若き青年であった島谷氏は、夭折された。諌山氏は明子さんと結婚し、別の道を歩まれた。その後のことは詳しくは知らないが、菅沼弘行、佐藤文彦、立川博之、堀越和夫氏らが中心になっていたと思われる。数年前、菅沼氏は海洋保全協会本部に移籍し、立川氏は千葉県中央博物館に転職なさった。いずれにしろ多くのウミガメ研究者が小笠原で産まれてきたことは確かである。

所長をやられていた倉田洋二氏は1992年?に、退職されたが、今はパラオ諸島で生物の研究を続けている。

3) その他の研究者

 今や裾野は広がり、研究分野も多岐にわたっているので、私には把握不能となった。現在の状況は「日本ウミガメ協議会」の会長をされている亀崎直樹氏が、全体を把握されている。

 本年(2010年)、亀崎氏は須磨水族館館長になられた。

 須磨の水族館は、30年ほど前の改装時に吉田館長?の指導のもとに立て替えられ、新型水族館のさきがけとなったもので、その後出来た葛西の水族館なども、須磨を非常に参考にしている。

ホームページは下記参照。

http://www.umigame.org/

(つづく)

 ウミガメの研究者たち(海外編)は、私の手には余るものなので、どなたかまとめていただきたいものだと思います。

2010年5月26日 (水)

ウミガメのはなし、あれこれ3

4章 世界のウミガメ類8種の分布域等について

 世界のウミガメは、これまで述べてきたように8種といわれており、そのうちの3種が日本に産卵し、それらはアカウミガメ、アオウミガメ、タイマイであることを述べ、その概要を第3章にまとめた。そしてその他には、オサガメが古くから日本近海を回遊しており、時々網にかかったり、死体が打ち上げられたりしてきた。また、ヒメウミガメという、一見アカウミガメに似た小型の種類が回遊していることも次第に明らかになってきている。たぶん魚を主に漁獲している漁師にはアカウミガメとヒメウミガメは区別されていなかったと見られるので、ヒメウミガメは、古くから日本近海に回遊していたと思われる。また、アオウミガメの亜種と見られ、日本で回遊が知られていなかったクロウミガメも最近沖縄で捕獲されている。世界に生息するウミガメの殆どが日本に姿を見せていることが分かってきた。

 残り2種のうちケンピヒメウミガメ(タイセイヨウヒメウミガメ)は、大西洋にのみ生息する種類である。そしてヒラタウミガメは、生息域が東南アジアの一部(ボルネオ南部)とオーストラリア北部に限られている種である。

 ここでは、世界のウミガメ8種の概要を示すことにする。

1) アカウミガメ

(1)形態

およその形態については、アカウミガメの特徴の項(1)で述べたので、海外で得られたデータについて報告する。

  口器、背甲、腹甲の様子は、図を参照されたい()。

(2)分布域

 生息域は、水温が18℃より暖かい海域とされる。大西洋では北緯70度のバレンツ海で記録されたことがある。ロシアのムルマンスク(北緯6859)で幼体が生きて捕まった例がある。スコットランドや北緯58度付近のヘブリデスの海からの報告もある。北緯43度9分のウラジオストクまで日本海を北上した例も知られている。アフリカの喜望峰経由で大西洋の個体群とインド洋の個体群は交流があるのではないかといわれている。

 オーストラリアのタスマニア、ニュージーランド、トンガ、マダガスカルにも生息している。

 産卵場は、亜熱帯地域から温帯下部の地域である。ウミガメ類の中では、産卵地が最も北まで分布する。西太平洋では、日本の南部からオーストラリアの東にかけて産卵地があり、日本の南部はアカウミガメの産卵地として非常に重要な地域であることが明らかになってきた(3章参照)。インド洋ではトンガランド(ナタール北東部)とマダガスカル島の南部に産卵地がある。

地中海では普通に見られ、イタリア、エジプト、パレスチナ付近に産卵する。また、ギリシャ、キプロス、トルコ、イスラエルで産卵が知られている。ギリシャではザキントス島、ペロポネソス、クレタ島が主な産卵地である。紅海では、南部には産卵地は無いが、東シナイの海岸で産卵が知られている。 紅海において過去30年の間に、漁師の網に4個体が間違って捕獲されたていどである。紅海には軟体動物が少ないため、このカメも少ないのであろうとされる(John Frazier)。地中海のアカウミガメがスエズ運河を渡ってきたとの意見もある。

 インド洋(アラビア海)ではオマーンのマシラ島は、世界的でも最大の産卵地である。そこには、アカウミガメが年に30,000頭産卵する。また、ヒメウミガメも少数が産卵する。

 北アメリカのカリフォルニア、大西洋のフロリダ付近に毎年20,000頭産卵する場所がある。オーストラリアには3,000頭が産卵する。コロンビアには400頭、マダガスカルに300頭、メキシコに500頭、モザンビークに300頭程度の産卵場所が知られている。

(3)生態

 内容は少し重複するところがあるが、簡単におさらいをしておこう。アカウミガメは、白いがやや肌色を帯びた、球形の卵を産む。卵の大きさは直径40mm前後で、1個の卵の重さは38g程度である。1回の産卵数は120個程度で、1シーズンに2~4回産卵する。地温の影響を受けるが、5070日で孵化する。孵化した子ガメは、一目散に海に向かう。子ガメの遊泳力は小さく、流れ藻の下に隠れながら生活し、流れ藻に生息する甲殻類や藻を食べて、藻とともに移動しながら成長するようである。背甲及び腹甲は濃褐色で手足も同色である。背に3筋の肋が縦に走っていて、親ガメの背中のように滑らかではない。

 1年程度で、甲長は10cm程度、体重200g程度となり、遊泳と流れ藻の下での生活を繰り返しながら、数年で甲長が30cmとなり、水深30m未満の沿岸に到達すると定着生活に入るようである。

日本で孵化したものの多くは、太平洋を潮流に乗って北アメリカまで達し、北太平洋及びカリフォルニア沖で生活しているらしい。そして、幼体の初期に、北に流され過ぎると、水温低下のため、死亡すると考えられる。ウミガメ類は、地磁気を感知して自己の位置を知る事ができるようで、可能な限り水温の高い南への遊泳を試みていると推定される。日本近海に再びアカウミガメが現れたときには、もはや成体となっており、亜成体はほとんど見られない。成体となったアカウミガメは、産卵できる浜の沖合に集まり、交尾の後、雄は伊豆七島、東南アジア沿岸、東シナ海に移動する。雌は産卵後、雄と同様南方または東方へ去る。南方に去るものの中には、フィリピン南部やベトナム南部で再捕獲されたものも出ている。東方に去る雌雄の中には、太平洋を横断し、北アメリカの西海岸に達する個体群があるようである。近年の衛星による追跡調査で、次第に多くのデータが集まってきている。アカウミガメは、内田至先生の言われたように、大洋航海者なのであり、渡りをするハ虫類なのである。

 マシラ島(オマーン)は著名な産卵地であるが、そこでは、1シーズンに4~5回再上陸してきて産卵し、2年から3年ごとに産卵に戻ってくる。産卵数は72130個(平均101個)である。卵の直径は平均で42mm程度、重さは42gほどの卵を産む。日本の屋久島と比べると、卵の大きさは変わらないが、産卵数が少ない(屋久島での産卵数の平均は124個)。再上陸回数も3回程度で4回上陸する例は多くないと思われる点も、屋久島と違っている。マシラ島は北緯15度付近にあって、水温による制限が無いためであろうか。

 アカウミガメは肉食性で、エビ類、イカ、カニ、貝類、カキ、ウニなどの底棲動物やカイメンなどを食べる。魚も食べる。主な餌が底棲動物であるため、エビトロール漁業、底引き網により、アメリカの南東海岸で毎年4,000頭のアカウミガメが殺されていると言われる。ウミガメ除外装置つきの網(Turtle Excluder devices :TEDS)の使用により、事故死を減らすことができる(図を参照 

(4)成長

 多くの哺乳類では、性成熟する年数は明らかになっているが、ウミガメ類についてはまだ情報が少ない。そして、何歳まで生きるかについても、まだ定説は無いのではなかろうか。

ハワイ近海の例では、成長速度は非常に遅く、成熟する年数を59年以上と計算した例もある。フレーザーという学者らは、アカウミガメについて、甲羅の長さが70cm以上になり性成熟する年数を10歳から30歳とした。

飼育下での生長については、古い記録では、孵化時20gの幼体が、27ヶ月で甲長46cm、体重18kg3年で53cm19kg4年半で37kgの報告(Parker,19261929)がある。内田至氏は2年で甲長30cm3年で50cm4年で60cm程度に生長すると推定している。自然界と違って、飼育下では成長が早いようである。

2) アオウミガメ

(1)形態

 およその形態については、アオウミガメの特徴の項で述べた。以下は、海外での報告を主に紹介する。

 甲らの大きさは、湾岸(サウジアラビア)の例ではオスの曲甲長の平均が91cm21頭の平均)、メスの曲甲長が99cm(43頭の平均)であった。甲長の平均はメスのほうが大きいので、体重もメスのほうが大きい。11例のオスの平均体重は99kgであったのに対し、メスの平均(18)121kgあった。体重は、おおよそ直甲長100cmのアオウミガメで125kg程度とされる。

ウミガメの雌雄を外見上から見分けるには尾の長さを比べると良いことは、これまでに述べたが、湾岸のアオウミガメの例では以下のようであった。21頭のオスの尾の長さは(背甲の縁から尾端まで)25cm42cm、平均で32cmであったが、メスの場合は(43)cm16cm、平均で9cmに過ぎなかった。

  口器、背甲、腹甲の様子は、図を参照されたい()。

(2)分布域

 日本での分布域について先に記したので簡単に触れ、海外の分布について述べる。

日本の主な産卵場は、小笠原諸島で、九州の屋久島より南では、恒常的に産卵される浜がある。九州本島には、はじめて1999年に指宿郡の石垣海岸で産卵が確認されたがこの場所が恒常的な産卵場では無いようである。

台湾に産卵するが情報は少なく、ベトナムなどの東南アジアからの詳しい情報はない。

 東南アジアではタイ、インドネシア、マレイシア、オーストラリアで産卵する。西オーストラリアとクイーンズランドには重要な産卵場がある。フィリピン南部に産卵地があり、国により保護されている。ルソン島のマニラよりやや北のスービックは米軍基地があって栄えたが、町の銃砲店でアオウミガメの亜成体とヒメウミガメの成体の剥製が飾られているのを見つけた。漁師の話では、たまにアオウミガメが産卵に上陸してくることがあるとのことであった。

インド、スリランカ、パキスタン、セイシェル、コモロ諸島、モルジブでも産卵が知られている。セイシェル共和国(南緯4度)のアルダブラ環礁は、周年産卵が見られるという。

  紅海では、タイマイに次いで2番目に普通の種である。ダーラク諸島(エチオピア)の2つの島では、3月に産卵が観察されている。スーダン港、エジプト沿岸と島々、シナイおよびイエメンでも記録があり、シナイの東側のイエメンで最も良く見られる。

  スアキン諸島(スーダン)で、3月に産卵跡が見つかっている(1980年)。シナイでは、7月から11月の間に産卵巣が見られた。エジプトの島々にも産卵跡がみられた。

  シナイ東側には海草が沢山生えており、アオウミガメは普通にみられるが、紅海のエジ プト側には、海草が豊富であるに関わらず、アオウミガメは希である。紅海の北部(地中海)及び南部(インド洋)は、産卵地があり、アオウミガメは普通にみられる(John Frazier)。

  南イエメンのアデン湾沿岸に沿って、毎年数千のアオウミガメが産卵する。ここのカメの一部は、アデン湾と紅海の間を移動すると推定されている。

  東地中海のトルコ、キプロス、イスラエルには、アオウミガメの大きな個体群が住んでいるが、スエズ運河を移動したのかどうかは不明である。

19世紀にはトルコ、パレスチナ近海に3万~4万頭のアオウミガメが生息していたとの情報もある。

アラビア湾では、カラン島、クレイン島、ジャナ島で産卵する。約80%の産卵がこれらの島でされる。アオウミガメは毎年1,000頭くらい産卵し、タイマイも産卵する。

北アメリカのカリフォルニア以南、大西洋のフロリダ?付近以南、メキシコ湾、アフリカの象牙海岸付近にも産卵地がある。

(3)生態

 アオウミガメは、白い、ピンポン玉大の球形の卵を産む。卵の大きさは直径4055mm程度で、1個の卵の重さは3555g程度である。1回の産卵数は60150個程度で、1シーズンに2~6回産卵する。地温の影響を受けるが、4560日で孵化する。孵化した子ガメは、一目散に海に向かう。小ガメの状態でも足ヒレは、アカウミガメのものより長く、遊泳力においても勝っていると推定される。しかし、子ガメである以上、遊泳力は小さく、流れ藻の下に隠れながら生活し、雑食性で、流れ藻に生息する甲殻類や藻を食べて、藻とともに移動しながら成長するようである。孵化後数カ月で、沿岸に定着する例が、アメリカの西海岸で知られている。背甲の色は黒く、甲の縁及び手足のヒレの縁も白い。腹甲も白い。アカウミガメの子ガメと比べると、ハンサムな印象を受けることであろう。

 1年程度で、甲長は15cm程度、体重300g程度となり、遊泳と流れ藻の下での生活を繰り返しながら、海草藻場に到達すると定着生活に入るようである。海草藻場は、主にジュゴンの生息域となっているが、アオウミガメの生息域と重複する。

 亜成体及び成体の食べ物は主に海草(うみくさ)である。これまで知られているものはHalodule univervis(ウミジグサ)、 Halophila ovalis(ウミヒルモ)、 Halophila ovata Halophila stipulacea Thalassia testudinum Thalassia hemprichi(リュウキュウスガモ)、 Posidonia oceanica Sytingodium isoetifolium(ボウバアマモ)、 Cymodocea surrulata(リュウキュウアマモ)、 Thalassodendrum ciliatum Halodule wrightii Cymodocea rotundata(ベニアマモ)などである。海藻では Sargassum illicifolium(ホンダワラの仲間) Chaetomorpha aerea (ジュズモの仲間)などが知られている。また、少量ではあるがクラゲ、軟体動物(イカ・タコ)、甲殻類(エビ・カニ)、カイメンなどを食べる。ホヤ類、ヒドロ虫類、魚卵、エボシガイなどが小笠原のアオウミガメから見つかっている。

 産卵場と採餌場が遠く離れている場合が、幾つか知られている。有名なのは大西洋中央部のアセンション島からブラジルまで2,000kmを移動する例である。移動速度は非常に早いことが最近分かってきた。

 日本の関東以南の沿岸も、アマモ類や海藻が生育しており、アオウミガメの亜成体~成体にとって重要な生活域であることが分かってきた。

小生がサウジアラビアの野生生物保護委員会に半年ほど手伝いに行っていた時に入手した報告書の中から、紅海のラス・バリジというところでニコラス・ピルヒヤー氏Nicolas Pilcher(サウジアラビア野生生物保護委員会)が1990年に調査した結果を要約すると以下の通りである。ここは、産卵地のそばにセメント工場があり、その粉塵の影響を受けている。

  紅海北部にある、ラス・バリジの南産卵地及び北産卵地の2ヶ所で、1990年のアオウミガメの産卵行動を調査した。

産卵頭数、再上陸間隔、形態、産卵行動の情報を集めた。正常な所と、汚染された所の、稚ガメの脱出率を調べ、近隣にあるセメント工場のセメント粉塵の影響を調べた。

  1990年の産卵期間中に、標識した数は17頭で、平均産卵間隔は、1012日であった。大きさと重さは1989年度のものと変わらず、産卵行動も、他の産卵地のものと変わらなかった。正常な所と、粉塵に汚染された所の稚ガメの脱出率はそれぞれ、79%及び65%であった。セメント粉塵に起因する物理的影響が、脱出数を低める最大の要因であった。

要約すると

1、ラス・バリジは、サウジアラビアのアオウミガメの産卵場として、今後も重要である。

2、17頭の雌が、浜を利用したが、雄の数は不明。

3、1990年度の、カメのサイズと重さは、直甲長96.9cm、直甲幅73.3cm、重さ124.4kg

  で、これまでの結果と似ていた。

4、上陸回数は、1回から5回で、平均回数は、2.7回であった。

5、1990年の、再上陸間隔は、1012日であった。

6、同じ浜への回帰率は、60%以上で、S1の浜が卓越していた。

7、産卵期間は5カ月で、ピークは10月、11月であった。

8、卵の平均サイズは(44.9mm50.0g)、以前の結果と似ていた。

9、1990年の平均産卵数は、105.3個で、他の北インド洋の場所のものと一致した。

10、平均孵化率は71.4%(範囲は5087%)で、北の場所に移動させたものは、高い孵化率を示した。

11、孵化にかかる日数の平均は、58日であった。

12、孵化稚ガメのサイズは、以前の結果と似ており、直甲長45.9mm、直甲幅38.0mm、重さ24.0gであった。

13、「偽天井」(セメント工場の粉塵が堆積し、上の砂が落ちないため、稚ガメが上に上がって行けない状態)が、南の海岸でたくさん見られたが、そのため数百の稚ガメが、上に昇れず、死亡した。

14、セメント工場から出る粉塵は、孵化に対し、化学的な有害作用はなく、物理的な影響を与えた。

15、試験的に移動した卵は、南の浜にそのまま置かれたものよりも良好な結果をえた。

16、ウミガメは、満潮時も干潮時も上陸したが、基本的に暗い夜を選んだ。

17、今後のこの地での調査では、産卵状況を正確に把握し、卵の移動を実行する必要がある。

18、セメント工場の粉塵が、国の放出基準を越え続けると、そこの野生生物や人の居住環境に損害を及ぼす。

以上であるが、1992年の調査のおよその内容を以下にまとめた。

  サウジアラビアの紅海北部にある、ラス・バリジのウミガメ産卵地を、1992年9月から10月にかけて調査した。雌の産卵数調査と、孵化子ガメ脱出の助力をすることが目的であった。セメント工場から排出される粉塵の影響から救うために、孵化にかかる日数である60日の後に、部分的にその巣穴を掘り、脱出の手助けをした。

  この浜にはおよそ50頭の親が産卵し、10,000匹の稚ガメが海に帰った。親ガメ、稚ガメの形態は、以前に上陸したものと変わりは無く、世界の基準の範囲内であることがわかった。平均孵化成功率は、74%近くで、平均産卵数は110個、再上陸間隔は1214日、再上陸の回数は、2回であった。

  この場所の海ガメ保護と、高い産卵成功率を確保するため以下の勧告を行った。①産卵地が保護区である事を公表すること。②2カ所の浜に、砂のburmsを設置する事。③産卵期、孵化期の間、NCWCD(野生生物保護委員会)の職員が常駐する事など。

(4)成長

 アオウミガメについてもまだ情報が少ない。ミラーという学者は、アオウミガメの成熟年齢を30歳から50歳程度またはそれより多いとした。 ウミガメ類は、最も性成熟の遅い動物と言えるであろう。成熟にそれほど長くかかると、絶滅しやすいのではないかと危惧される。動物は成熟年までの6倍を生きるとする一般側を適用すると、50歳で成熟しその後その6倍の年数の300歳まで生きることになり、世界で最も長生きする動物に入れられるのではなかろうか。

 ケイマン島で飼育されたアオウミガメは8年及び9年で繁殖したとされるが、自然状態では、30年程度と推定される例が幾つか報告されている。推定の方法は、再捕獲したウミガメが、その間にどれだけ成長したかを調べ、甲長80cm程度に達する時間を計算することによって得たものである。

3)タイマイ

(1)形態

 およその形態については、タイマイの特徴の項で述べた。以下は、海外での報告を主に紹介する。頭骨図、骨格図を参照されたい()。

(2)分布域

 生息域は、アオウミガメと同様の暖かい海域である。

 産卵場は、亜熱帯地域から熱帯にかけての地域である。広範囲に分布するウミガメ類の中では、産卵地が最も南に分布する。日本では、沖縄で産卵が知られているが、小笠原諸島では産卵は知られていないが、更に南のベラウ群島(パラオ)には産卵が知られている。一般には、アオウミガメの産卵地にはタイマイの産卵が行われていることが多いが、砂浜によっては、アオウミガメが産卵してもタイマイが産卵しない場所が知られている。

 中国南部、台湾、ベトナムなどに産卵すると思われるが、これらの地域からの詳しい情報はない。

 東南アジアではタイ、インドネシア、マレイシア、オーストラリアで産卵する。東オーストラリアのクイーンズランドには大きな産卵地があり、毎年1,0005,000頭が産卵する。インドネシアには同一規模かそれ以上のタイマイが産卵する場所があるが、卵は90%から100%掘り取られる。

 マレイシアのマレー半島には主に3ヶ所の産卵地が知られている。東海岸ではトレンガヌ州のランタンアバン(Rantan Abang)、パハン州のクアンタン(Kuantan)の北にある浜、西海岸ではマラッカ州のマラッカ付近だが、詳しい浜は不明。いずれの浜もアオウミガメも上陸する。東マレイシア(ボルネオ)では、サバ州のサンダカンの北にあるセリンガン島(Selingan)は保護区になっており、タイマイとアオウミガメが上陸産卵する。

インド、スリランカ、パキスタンでも産卵が知られている。モルジブ島、アンダマン海とニコバル諸島、セイシェル島にも産卵地がある。

アラビア湾にはタイマイとアオウミガメが上陸する島(カラン島及びジャナ島)がある。オマーン湾にも産卵地(マシラ島)がある。紅海では、多くの産卵地が報告されているが、ほとんどが島である。ダーラック諸島Dahlak(エチオピア)、スアキン諸島Suakin(スーダン)は、どこよりも産卵密度が高い。エジプトの沿岸、スエズ湾Suez及びアクバAqaba湾入口 にある島じま(エジプト)、ティラン島Tiran(サウジアラビア)、ファラサン諸島、サウジアラビア沿岸の島じまには、産卵の跡がみられたと報告されている。

  産卵期は、ダーラック諸島では、2月と3月、スアキン諸島では、3月から6月、エジプトでは4月から7月であるとされるが、このデータはまだ不完全なものである。

北アメリカのカリフォルニア以南、大西洋のフロリダ?付近以南に産卵地がある。メキシコ湾の西側、メキシコ西海岸、ドミニカ共和国、ジャマイカが有名である。アフリカの象牙海岸付近にも産卵地がある。

(3)生態

 タイマイは、白い、ピンポン玉よりはやや小さい球形の卵を産む。卵の大きさは直径3436mm程度で、1個の卵の重さは2530g程度である。1回の産卵数は50200個程度の幅がある。アラビア湾での1腹の卵は3088(平均65)と、少ない。1シーズンに2~5回産卵する。地温の影響を受けるが、4560日で孵化する。小ガメの状態では足ヒレは、アカウミガメのものより長いが、アオウミガメよりは短い。子ガメは、遊泳力は小さく、流れ藻の下に隠れながら生活し、雑食性で、流れ藻に生息する甲殻類や藻を食べて、藻とともに移動しながら成長するようである。1年程度で、甲長は10cm程度、体重200g程度となり、遊泳と流れ藻の下での生活を繰り返しながら、サンゴ礁海域の沿岸に到達すると定着生活に入るようである。

 セイシェル諸島のカズン島では、例外的に昼間に、主に午後にタイマイが産卵する(ダイアモンド氏:1976)例が報告された。そこの産卵期は8月または9月から次の年の2月または3月までであった。17日ごとに再上陸し1シーズンに4回産卵、1回の産卵数は平均182個、孵化率は86%であったとされる。非常に条件の良い産卵地であるらしいことがわかる。

  紅海のタイマイの特徴は、再生産率が低いことである。エジプトの平均産卵数は、113個で、そのうちの39%が、小さいか黄身を欠いていた。スーダンの例では、産卵数は約100個、27%が、黄身欠如であった。アデン湾にあるジャバル・アジズ島Jabal Azizでは、産卵数は107個で、24%が黄身欠如であった。マシラ島Masirah(オマーン)では、97個、11%が黄身欠如であった。一方、セイシェルのカズン島Cousinの例では平均産卵数は150個以上で、黄身欠如はみられない。平均酸卵数が低く黄身の欠如が見られるのは、紅海のタイマイに特徴的である可能性がある。

  エジプトでも、たいていは、高潮線より高い場所に産卵するので、砂で覆われた広い砂浜が必要である。巣の深さは50cm位で、上部にある変形した卵や、卵黄の無い卵は、それより下の卵の孵化成功率を助けるとされる。

  紅海のスエズ湾や、紅海北部の気温は10度まで下がる。タイマイは、ウミガメの中で定住性が強いと推定され、紅海のタイマイは、アデン湾やインド洋のものとの交流は少ないと考えられている。また、地中海には、タイマイは分布していないようである(John Frazier)。

(4)成長

 孵化時の幼体は、甲長40mm、体重は1215g程度である。そして、性成塾に達した場合の甲羅の長さは53cm以上と推定されており、その大きさになるのは3年ないし4.5年と推定されている。産卵するメスの平均直甲長は、スーダンが66cm、ギアナでは83.8cmというように幅がある。スーダンを除くと、甲長はおよそ7090cm、体重は4570kg程度である。

 タイマイの食べ物は主にカイメン類である。カリブ海のタイマイの胃内容物分析によると、95.3%がカイメン類であったという。

また、イソギンチャク類も餌とされ、20種程度のイソギンチャク類が識別されている。サンゴ礁に生息する甲殻類、軟体動物、ソフトコーラルなどとともに、海藻及び海草も摂取されているようである。

エボシガイが甲羅に付着する場合があり、背甲の2ヶ所に多数が付着して甲羅が砕けた例がある。

甲羅が売買されることはあるが、肉が売買されることは殆ど無い。時に肉を食べたための中毒例がある。

4) タイヘイヨウヒメウミガメ(ヒメウミガメ)

(1)形態

 タイヘイヨウヒメウミガメは、背中の甲羅、頭、四肢などが黄色みを帯びたクリーム色または緑色っぽい灰白色をしている。頭部は、アオウミガメに比べると大きく、英語ではOlive ridley turtleと呼ばれている。Ridleyの語源は不明である。2種類のヒメウミガメにのみ用いられる不思議な単語である。ヒメウミガメはOlive ridleyといい、タイセイヨウヒメウミガメ(ケンピヒメウミガメ)をKemp’s ridleyと呼んでいる。Riddle(不思議な)カメというわけでは無さそうであるが。

ヒレ状の前足は、アカウミガメと発達の程度は似ている。

 頭は、大きなウロコをはめ込まれた形をしているのは、他のウミガメと同様であるが、額にあるウロコは、タイマイと同様2対(4枚)である。

 歯は、オウムのくちばしのように発達しているが、アカウミガメほどではない。噛み砕く力は強いと推定される。基本的には肉食で、主な餌は、甲殻類等である。

甲らの大きさは、甲長65cm程度の楕円形で前方が膨らみ、後方も丸みを帯びる。甲長と甲幅の長さが大体同じである。アカウミガメに似るが、甲羅全体がやや偏平である。甲羅は、中央に並んだ甲羅も亀甲模様をしているとは言いがたい。それぞれの甲の幅は、椎甲板では上から2番目、3番目の甲羅が大きく、後方にゆくに従って狭くなる。椎甲板が5~8枚のものが一般的である。肋甲板の幅は中央部が最も広く、その数は5対以上、6~8対あり、一番上の肋甲板はアカウミガメと似て小さいのが、この種の識別の目安になる。ただし、肋甲板の数は左右の枚数が不ぞろいな場合も少なくない。腹甲の亜縁甲板は4対で小さな穴がある。体重は45kg程度になる。オマーンの例では、甲長はおよそ72cmであった。メキシコの例では甲長の範囲が5274cm、平均63cmと、一回り小さい。ウミガメ類は泳ぐのに適したヒレ状の前足をしているが、ヒメウミガメの前足ヒレは比較的に短く、ヒレに爪が1ヶ所見られる。後足ヒレには2ヶ所に爪が見られる。前足ヒレに爪が1ヶ所見られるのはヒメウミガメとアオウミガメ?である。

同じLepidochelys属のケンプヒメウミガメは産卵時にボディピット産卵前に体が隠れる程度に浅く掘る穴)を掘らないようであるが、ヒメウミガメは浅く掘る。

口器、背甲、腹甲の様子は、図を参照されたい()。

(2)分布域

 生息域は、アオウミガメと同様の暖かい海域のようであるが、広域分布種で、生息域は大西洋、インド洋、太平洋に分布する。

 産卵場は、亜熱帯地域から熱帯にかけての地域である。主な産卵地は、太平洋の西岸とメキシコ西海岸、中央アメリカからパナマにかけておよびインド北西岸である。西インド洋では、パキスタンのみに産卵地が知られている。モザンビーク、マダガスカル北部、タンザニア、アンダマン海の島々でも産卵の記録がる。パキスタン、西マレイシア、ビルマ、サラワク、サバ、ニューギニア、オーストラリア北部にも産卵する。タイにはいくつかの産卵地がある。プーケット島には孵化場がありヒメウミガメのほかにタイマイも孵化させている。中国、台湾にも分布するが、産卵状況については不明。

  紅海内では5つの記録のみである。 エチオピア(Eritrea)のマサワMassawa、スーダンのスアキンSuakin、北イエメンのラス・カチブRas Katibから1例ずつ、南シナイから2例である。ヒメウミガメは塩分濃度の低い、濁りのある、溶存酸素の多い、マングローブやエビの多い場所に好んで生息するとされるが、紅海にはそのような場所は多くない。紅海での産卵記録は今のところない。また、アラビア湾、地中海での記録はない。

  オマーンのマシラ島Masirahで、230頭が産卵した記録があり(Clarke et al.1986)、毎年150頭前後が産卵する。ここはアカウミガメの世界最大級の産卵地でもある。

 ヒメウミガメの集団産卵、アリバタ(アリバダ)またはアリベソンは、有名である。徳永卓也「カメの医食住」(動物出版)によると、中米の西岸、スリナム、インドに大きな産卵地があるとされ、数百頭が集団で昼間に上陸産卵する行動、アリバタが紹介されている。

  インドの北東部の例ではガイルマタ海岸という35kmの海岸に23万頭が産卵し、次の年には13万頭が産卵した。このことから毎年10万頭のウミガメが上陸すると判断された。主な産卵時期は2月、3月であるが、少数は周年産卵する。また毎年産卵する個体があることも分かった。

 メキシコの西海岸で8万頭の上陸が見られた。しかしその場所は乱獲のため消滅しかかっている。コスタリカの2ヶ所の海岸には5万頭及び15万頭上陸する「アリバダ」がある。アリバダの第1波の産んだ巣穴は第2波のアリバダによって破壊される。卵の孵化日数は55日程度であるが、第2波のアリバダは14日後から48日後にくる。

 日本近海では時々成体、亜成体が捕獲されることがあるので、沖縄で産卵の可能性があるが、公表された記録はない。久米島(沖縄)の東奥武に住む比嘉政四郎氏が採卵し孵化させたとの情報がある。

 日本での漂着例は、秋田以南の日本海側、千葉件以南の太平洋側から記録がある。

(3)ライフサイクル

 ヒメウミガメは、クリーム色の、ピンポン玉ほどの球形の卵を産む。卵の大きさは直径4046mm程度で、1個の卵の重さは28g程度である。ケンピヒメウミガメのように昼間に上陸産卵することは稀である。2~3年ごとに上陸産卵する。上陸産卵にかける時間は他のウミガメ類より短く、およそ40分から100分程度とされる。産卵数は50160個、平均110個である。1シーズンに2~3回産卵する。地温の影響を受けるが、5070日で孵化するが大抵は5356日で孵化する。孵化した子ガメは、灰色かやや黒っぽい色をしている。色は、成長するにつれて年とともに薄れる。小ガメの状態では足ヒレは、アカウミガメのものと同じ程度であり、アオウミガメよりは短い。子ガメは、遊泳力は小さく、流れ藻の下に隠れながら生活し、雑食性で、流れ藻に生息する甲殻類や藻を食べ、藻とともに移動しながら成長するようである。1年程度で、甲長は10cm程度、体重200g程度となり、遊泳と流れ藻の下での生活を繰り返しながら、サンゴ礁海域の沿岸に到達すると定着生活に入るようである。

基本的には肉食で、主な餌は、甲殻類(エビ、カニ)等であるが、巻貝やカキなどの貝類、クラゲ、ウニ、ナマコ類を食べることもある。魚卵及び魚も食べる。餌場としては、水深80100m程度に潜って餌を採ることもある。水深300mの地点で見られた例もある。

 アカウミガメと食性が似ており、アカウミガメの索餌海域である東シナ海で多くの採捕例が知られているが、海水温の高い夏場にこの海域を利用しているようである。

4)成長

 ヒメウミガメの場合は、甲長52cm程度で性成熟すると推定され、その大きさになるのは7年から9年とされている。

 人工飼育では、8ヶ月で甲長11.720.0cm、体重2601,300gになった例がメキシコから報告された。スリランカでは、孵化後481日で甲長32.5cm、体重5.5kg863日後には甲長49cm、体重19.1kgになった記録がある。

5) オサガメ

(1)形態

 オサガメは、背中の甲羅が革の様になっており、その地色は黒色のものが普通で、不規則な白、黄色、桃色の斑点が散在する。腹甲は白または黄色である。甲板はない。骨板は退化して多数の小さな骨片となり、皮膚に埋もれている「動物大百科・平凡社」。背甲には縦走する7本の隆起があり、腹甲には5本の隆起がある。オサ()と呼ばれるにふさわしく巨大なウミガメである。その甲長は200cm、体重は500kg以上になる。英語では、その背甲が革(レザー)の様であることからLeathery (Leatherback) Turtleと呼ばれている。甲羅のサイズは雄、雌で違いは無い。尾はオスのほうが長い。新潟県ではオサガメをカワガメ、ヤサバと呼んでいる。佐賀県でもヤサバと呼ばれる。福岡県ではヤシマボウズの名がある。カワガメのカワは、皮であろう。それではヤサバはどういう字を当てるのであろうか。

 日本付近での捕獲・打上げの記録については、意外に多数ある。古い記録については、西村三郎氏が25例ほど集められた(採集と飼育223号 1960)が、それによると新潟県、岩手県、北海道で多く捕獲されている。

 オールのような大きなヒレ状の前足は爪がなく、ウミガメ中でもっとも発達しており遊泳スピードも早く、多くのクジラ類のように大回遊をしているようである。

 口は、喉から食道にかけて柔突起が一面に分布している。主に浮遊性のクラゲを餌にしているためと推定される。餌場として特に大陸や島の沿岸部に生息する必要はなく、海洋性である。

 甲らの大きさについては、様々な情報がある。甲長はおよそ200cm、甲幅は150cm程度の紡錘形で前方が膨らみ、後方はややとがっている。体重は大きいものでは700kgを越えることがあり、甲長も240cmのものが知られている。普通でも200kg以上あるという。スリランカの例では曲甲長165cmで体重は448kg、カリフォルニアの例では、体長254cm865kgという例があった。最大のものは、ウエールズで記録された曲甲長265.5cm、体重916kgの個体であろうか。フランス領ギアナの例では、直甲長155cm、直甲幅87cm、体重339kgとの報告がある。

 オサガメは現存のハ虫類の中では最大級の生き物である。これに匹敵するのは、ワニの仲間のイリエワニであろう。オオトカゲの仲間のコモドオオトカゲは165kg程度になるという。

(2)成長

 オサガメについては、あまり知られていない。フランス領ギアナでの上陸産卵の最小個体の直甲長は137cmであったことが知られている。メキシコの19871988年の調査では甲長の範囲は124-162cmであった。これらのことから、オサガメのメスは、甲長120cm以上になると性成熟すると考えられるが、オスの性成熟についてはデータが無い。Birkenmeier(1971)氏は、孵化幼体は1年で60cm3年で180cmに成長するとしており、これだと、3年で成熟し、ウミガメ類の中では最も成長が早いということになる。

 

(3)分布域

 太平洋からインド洋、大西洋の温帯域から亜熱帯、熱帯に分布する。西部太平洋地域の産卵場所は主に年間平均気温が25℃以上の熱帯域のマレイシア、インドネシア、オーストラリアで、インド半島南部、スリランカなどにも産卵する。

スリランカのゴールには孵化場があるが、そこを見学した折にオサガメの孵化幼体と一緒にタイマイ、ヒメウミガメの幼体も見ることができた。

  中東では産卵は知られていない。シナイに数例の記録があり、スエズ湾のアブロデイスAbu rodeisの南、アクバ湾南端等でも目撃記録がある。北イエメンに打ち上げ例がある。2個体が、アルガルダカAl Ghardaqa Marine Stationに持ち込まれたが、その1頭は亜成体、1頭は雌の成体であった。紅海での産卵地は知られていない(John Frazier)。

メキシコの太平洋側、コスタリカの大西洋に面した海岸、カリブ海の島々にも分布する。コスタリカのプラジャ・グランでは、1989年には1,367巣の産卵が知られたが、1999

年には117巣に減少した。

フランス領ギアナは、南アメリカの北東部にあり、Awalla-Yalimapoという村には最大級の産卵場がある。1988年、1992年には50,000頭以上の産卵が確認されたが、1999年には10,000頭前後に減少している。ここのオサガメは、産卵上陸のピークが満潮時であり、小潮の夜は上陸個体数そのものが減少するという。多分オサガメにとって理想的な砂浜があり、外敵や人の撹乱が殆どないためであろう。

マレー半島の東側にあるトレンガヌ(Terengganu)州のランタウアバン(Rantau Abang)は、オサガメの他にアオウミガメ、タイマイ、ヒメウミガメが上陸することが知られている。ランタウアバンは、1956年の産卵巣の数は10,671巣であったと推定されている。19601970年代は2,0006,000巣が確認されているが、1980年代は1,000巣から300巣に急激に減少した。そして1999年には10巣に激減したのであった。この年は、たぶん数頭がこの浜を利用しているに過ぎないと思われ、ここを利用しているグループ(個体群)は絶滅に瀕していると思われる

私がマレイシアに滞在していた2001年2月19日に、トレンガヌの北方、ケランタン州のコタ・バル(Kota Bharu)で甲長1.5mのオサガメが上陸したことが新聞に報道された。産卵のために上陸したと思われるが、産卵したかどうかは不明であった。甲長は1.5m程度、体重は2t程度と報道された。この報道はやや大げさで、甲長が1.5m程度では400kg程度でなかろうか。

マレイシアのニューギニアの西側半分はインドネシア領であるが、イリアンジャヤ州Jamursba-Medi地区は3,000頭以上の産卵が確認された。太平洋地域の最大の産卵場であろう。

オサガメは、アフリカの喜望峰を越えて大西洋と太平洋を行き来している可能性もある。遊泳能力が高いせいか、日本では、北海道でも生きたまま網にかかった例が知られている。

日本に産卵地はないが、海岸に打ち上げられた記録があり、古くから、このウミガメの存在が知られていることは、先に述べた。

更に古い時代のオサガメの化石が、北海道の白亜紀の地層から多数出土している。地徳力氏及び平山廉氏らは、15体の標本を基にしてメソデルモケリスMesodermochelysという新しい属を提唱した。これらの化石は今のところ日本以外では発見されていないので、その研究成果が期待される。

(4)ライフサイクル

 オサガメは、白色の、ピンポン玉よりはやや大きい球形の卵を産む。卵の大きさは直径50mm60mm程度で、1個の卵の重さは82g程度である。1回の産卵数は50160個程度で、10日ほどの間隔で1シーズンに2~6回産卵する。

マレイシアの例では、産卵時期は4月から9月、産卵数は33個から140個、多いのは8590個の範囲であった。孵化日数は53日から60日、孵化幼生は第1日目と第2日目に殆ど出てしまう。1腹の産卵数が少ないほど良好な孵化率を示し、4660個のグループでは63.5%の孵化率、121135個のグループでは40.9%であったという。オサガメは、卵黄の入った正常卵のほかに、卵黄を含まない卵を同時に産卵することで、この傾向はどこのオサガメについても見られるようで、その理由は何であろうか。

 また、同じくマレイシアでの卵の孵化温度と性比についての研究によると、卵の孵化温度が29.2℃では大多数がオスになり、30.4℃では全数がメスになるという結果が報告されている。アカウミガメの場合は29℃を超えるとメスの割合が多くなるとされるから、性比の分岐点の温度がやや高いようである。

フランス領ギアナでの研究によると、産卵期は3月~8月で、5月後半から6月上旬にピークが来る。産卵間隔は10日で、1頭の産卵回数は平均7.5回程度と報告されており、産卵回数は多い。産卵は、他の海亀類と同様に夜間に行われ、産卵のために上陸している時間は90-120分程度である。

スリナムやフランス領ギアナでは新しく堆積した砂浜にオサガメが産卵するようになった例が知られており、他の種のように同じ浜に産卵しようとする固執性は弱いのかもしれない。オサガメの産卵する浜の沖合いの地形は、急に水深の深くなる海岸が多いとされる。遊泳速度が速く、表層のみならず、中層も索餌のために遊泳すると考えられ、水深1,000m以上潜ることも知られている。

孵化までの日数は6068日程度である。孵化は普通夜間に行われ、孵化幼体は一斉に海に向かう。その途中で幼体は砂浜に円を描くように歩行することが知られており、CarrOgren(1959)は、Orientation circleと呼んだ。孵化幼体や若例幼体は、沿岸域では殆ど見られない。

小ガメの状態では足ヒレは、体に比べて非常に大きい。子ガメの背は黄褐色または黒で、成長するにつれて青みがかってくる。腹甲は白く5本の黒い筋があり中央部の筋は薄い。子ガメは、遊泳力は小さく、たぶん流れ藻の下に隠れながら生活し、雑食性で、流れ藻に生息する甲殻類や藻を食べて、藻とともに移動しながら成長するのであろう。1年程度で、甲長は30cm程度、体重600g程度となり、遊泳生活に入り、クラゲを食べるようになる。一生を海洋での遊泳生活で過ごし、産卵の時以外は沿岸に近づかない。

 他の場所での産卵期は、オーストラリアでは122月、スリランカでは4~6月、メキシコでは102月である。

 主要な餌はクラゲ類であると考えられ、その他に軟体動物、棘皮動物、魚類、藻類などが食べられているようである。浮遊生物を主食としているため、プラスチック、セロハンなどが消化管から見つかることが多い。南アフリカに打ち上げられた個体の消化管から3×4mの合成樹脂シートが取り出された例もある。

 最近の震度記録計を使った調査でも水深1,200mい上に潜った例が知られており、その理由の1つは、他のウミガメ類の3倍程度酸素を蓄えることができるためらしい。また、長距離移動中は、イルカ類のように水面直下を泳ぐことを好むことも分かってきた。さらに、通信衛星を使った追跡も始められており、今後多くの新事実が明らかになるものと思われる(Eckert 他の研究)

6) タイセイヨウヒメウミガメ(ケンプヒメウミガメ)

(1)形態

 背中の甲羅、頭、四肢などはクリーム色をしている。頭部は、アオウミガメに比べると大きく、アカウミガメに比べると小さい。英語ではKemp’s Lidly Turtleと呼ばれている。 ヒレ状の前足は、アカウミガメと発達の程度は似ている。

 頭は、大きなウロコをはめ込まれた形をしているのは、他のウミガメと同様であるが、おでこにあるウロコは、タイマイと同様2対(4枚)である。

 歯は、オウムのくちばしのように発達しているが、アカウミガメほどではない。噛み砕く力は強いと推定される。貝類、甲殻類等を餌としているが、サンゴ、ウニ、ナマコ類を食べることもある。餌場としては、水深30m未満の水域を主な場所としているようである。 甲らの大きさはおよそ縦90cm、横75cm程度の楕円形で前方が膨らみ、後方はややとがっている。肋甲板は5対が多い。アカウミガメと同様雑食性または肉食性と考えられている。

(3)分布域

 タイセイヨウヒメウミガメは、その名が示すように大西洋に分布する。生息域は、カリブ海及び北大西洋で、時に地中海でも見つかる。

 主な産卵場は、メキシコの東海岸にあるランチョ・ヌエボ(RanchoNuevo)、ベラクルス(Veracruz)及びタバスコ(Tabasco)、テキサス州のパドレス島などである。これらの個体群の採餌場はミシシッピ川河口の三角州地帯とされる。

1947年4月にランチョ・ヌエボで昼間に、1日に2kmの範囲で40,000頭の産卵が記録されたことがある。その後は次第に減少し、1960年代の半ばには5,000頭、1989年には835頭に減少した。

(4)ライフサイクル

 タイセイヨウヒメウミガメは、クリーム色の、ピンポン玉よりはやや小さい球形の卵を産む??。卵の大きさは直径32mm?程度で、1個の卵の重さは30g程度である。1回の産卵数は70個程度で、1シーズンに2~5回産卵する。地温の影響を受けるが、4560日で孵化する。小ガメの状態では足ヒレは、アカウミガメのものより長いが、アオウミガメよりは短い。子ガメは、遊泳力は小さく、流れ藻の下に隠れながら生活し、雑食性で、流れ藻に生息する甲殻類や藻を食べて、藻とともに移動しながら成長するようである。1年程度で、甲長は10cm程度、体重200g程度となり、遊泳と流れ藻の下での生活を繰り返しながら、サンゴ礁海域の沿岸に到達すると定着生活に入るようである。

しばしば昼間の産卵が記録されるのが、このウミガメの特徴である。

(5) 成長

 タイセイヨウヒメウミガメ(ケンプヒメウミガメ)の場合の成熟年数は、8年が必要との意見がある(Marques1987)。

7) ヒラタウミガメ(ヒラタアオウミガメ)

(1)形態

 ヒラタウミガメは、アオウミガメに似るが、背甲のふくらみがなだらかであること、そして、アオウミガメに色や形が似ているところから命名されたが、1980年代後半には、アオウミガメ属(Chelonia 属)からナタトール属(Natator 属)に移されたことから、「アオ」を取って、ヒラタウミガメと呼称されることになったらしい。

頭部は、アオウミガメに比べると大きく、アカウミガメに比べると小さい。英語では Flat Back Turtle と呼ばれている。ヒレ状の前足は、アカウミガメと発達の程度は似ている。

 頭は、大きなウロコをはめ込まれた形をしているのは、他のウミガメと同様であるが、おでこにあるウロコは、タイマイと同様2対(4枚)である。

 歯は、オウムのくちばしのように発達しているが、アカウミガメほどではない。噛み砕く力は強いと推定される。貝類、甲殻類等を餌としているが、サンゴ、ウニ、ナマコ類を食べることもある。餌場としては、水深30m未満の水域を主な場所としているようである。 甲らの大きさはおよそ縦7590cm、横6075cm程度の楕円形で前方が膨らみ、後方はややとがっていて、アカウミガメに似るが、甲羅の縁が外側に湾曲している。体重は90kg以上は稀である。日本での捕獲の記録が無いことから、遊泳力が弱いか、イリエワニのように局地的な分布をする要因が何かあるように思われる。口器、背甲、腹甲の様子は、図を参照されたい。

アカウミガメと同様、雑食性または肉食性と考えられている。

(3)分布域

 生息域は、アオウミガメと同様の暖かい海域のようであるが、広域分布種ではなく、生息域が東南アジアの一部(ボルネオ南部)とオーストラリア北部に限られている。

 産卵場も、同じである。タイセイヨウヒメウミガメは昼間に産卵するが、ヒラタウミガメも昼間に産卵する。クイーンズランド州の沿岸及び海域、そしてオーストラリア北西部が産卵地域である。

(4)ライフサイクル

 不明なことが多い。クリーム色の、ピンポン玉よりはやや小さい球形の卵を産む。卵の大きさは直径32mm?程度で、1個の卵の重さは30g程度である。1回の産卵数は70個程度で、1シーズンに2~5回産卵する。地温の影響を受けるが、4560日で孵化する。小ガメの状態では足ヒレは、アカウミガメのものより長いが、アオウミガメよりは短い。子ガメは、遊泳力は小さく、流れ藻の下に隠れながら生活し、雑食性で、流れ藻に生息する甲殻類や藻を食べて、藻とともに移動しながら成長するようである。1年程度で、甲長は10cm程度、体重200g程度となり、遊泳と流れ藻の下での生活を繰り返しながら、サンゴ礁海域の沿岸に到達すると定着生活に入るようである。

8) クロウミガメ

 クロウミガメが新種と認定されたのは1983年で最近のことであるが、アオウミガメの亜種とする研究者もいる。1986年に内田至氏が和名をクロウミガメとした。1990年にマルケスという学者が、東太平洋の種をクロウミガメ、インド洋のアオウミガメに亜種名ジャポニカを、大西洋のアオウミガメに亜種名ミダスを使用することを提案しているが、クロウミガメをアオウミガメの亜種とするか別種とするかの決着は専門家に任すとしよう。

(1)形態

 クロウミガメは、背中の甲羅、頭、四肢などがやや黒みを帯び、腹甲もやや黒みを帯びていることから命名されたようである。アオウミガメと姿形が似ており、アオウミガメの亜種(Chelonia mydas agassizii)と主張したのは1868年の頃かららしい。新種として認知されたのは1983年のことであった。その後も、今でもアオウミガメの亜種との説もあるが、現在は別種とされる見方が強い。頭部は、アオウミガメに似ている。背甲の勾配がやや急であるとされる。英語では、Black Green (Sea) Turtleと、長い名で呼ばれているが、和名はクロウミガメとされた。

 アオウミガメとの違いについては、南知多ビーチランド(水族館)の説明によると

1)   体全体がアオウミガメに比べて黒味がかり、腹甲は特に顕著である。

2)   背甲の形が、アオウミガメは縦に長い楕円形をしているのに対し、ややハート型に近く、後端近くがややくびれている。

3)   四肢の隣板の細分化が顕著である(細かく分かれている)

などの違いが見られたという。

 甲らの大きさはおよそ縦90cm、横80cm程度の楕円形で前方が膨らみ、後方はややとがっているが、アカウミガメよりも全体に円みを帯びている。甲板数は13枚で、アオウミガメと配列は同じである。

(2)日本での発見例

 日本では1998年4月30日、5月19日に沖縄県西表島近海で2頭が発見された。この2頭は南知多ビーチランドで飼育されている。捕獲された個体は甲長77cm、体重50kgの亜成体と、甲長約44cm11kgの子ガメでいずれもメスであった(産経新聞・1998/8/13)。八重山海中公園研究所の黒柳賢治(新聞では黒崎)研究員らが発見した。

 1999年5月 日に沖縄本島中部の読谷村沖でオスのクロウミガメが捕獲された。甲長は68.1cm、甲幅53.3cm、体重は39.5kgとされるから、亜成体であろう。これが3例目で、「沖縄記念公園水族館」で飼育されている。

(3)分布域

 生息域及び、産卵場は、主に大平洋の東岸(中南米)のメキシコ、コスタリカ付近からガラパゴス諸島にかけて、北はバハカリフォルニアまで、西はハワイまでの亜熱帯地域から熱帯にかけてである。太平洋中部及び西部側には分布しないとされていたが、上に述べたように実際には日本での捕獲例(沖縄)が出た。これまでいくつかの場所で捕獲され、アオウミガメとして処理されてきた可能性もある。太平洋、インド洋での産卵場は、今のところ知られていない。東南アジアからの詳しい情報はない。日本の水族館でクロウミガメが飼育されているのは今のところ2カ所である。

 クロウミガメは、アオウミガメ同様海草類のアマモやヒルムシロ類を主食としていると考えられる。

(4)ライフサイクル

 クロウミガメは、たぶんアオウミガメよりやや小型のようであるが、同様の卵を産むであろう。1回の産卵数は65個程度で、アオウミガメより少ないようだ。産卵回数、孵化日数について詳しいデータは無いが、アオウミガメと同様と推定される。

(つづく)

2010年5月25日 (火)

ウミガメのはなし、あれこれ2

3章 日本に産卵するウミガメ3種について

 はじめにで述べたように、日本に上陸産卵するウミガメは3種類である。世界に分布しているウミガメは、現在は8種類に過ぎないことや、ウミガメの一般的な特徴については先に述べた。この章では、日本に上陸/産卵するウミガメ3種の分布と生態について述べてみようと思う。

3-1アカウミガメの分布と生態

1)アカウミガメの特徴

 アカウミガメという名称は、背中の甲羅、頭、四肢などが赤みを帯びていることから命名されたようである。頭部は、他のウミガメに比べると大きく、それ故に英語では Loggerhead Turtle(丸太んぼうのような頭をしたカメ)と呼ばれている。

 ヒレ状の前足の発達は、アオウミガメ、タイマイ、オサガメよりは劣り、ヒメウミガメと発達の程度は似ている。

 頭は、大きなウロコをはめ込まれた形をしているのは、他のウミガメと同じである。ひたいにあるウロコは、2対+1で、5枚ある。しかし2対(4枚)だけのこともある。アオウミガメは1対しかない。タイマイやヒメウミガメは2対で、種を見分ける目安の一つとなっている。ウミガメ類は、希にアイノコが生まれることがあり、種の判定には、このような目安が役立つのである。

 口は、オウムのくちばしのようによく発達しており、噛み砕く力が強いと推定される。魚類、貝類、甲殻類等を餌としているが、遊泳性の魚を捕らえる能力はない。餌場としては、水深30m未満の水域を主な場所としているようである。

時に100m以上も潜ることもあるが、この深さでの行動は長距離移動と関係があるらしい。

 甲らの大きさはおよそ縦(直甲長)90cm、横(直甲幅)75cm程度の楕円形で前方が膨らみ、後方はややとがっている。体重は100kg前後とされる。「動物大百科・平凡社」(1987年版)には甲長213cm、体重450kgというとんでもない記載があるが、新しい版ではどうなっているのであろうか。これは多分最大級のオサガメの大きさである。

日本の水族館で見られる主なウミガメは、アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイ、ヒメウミガメの4種であるが、ヒメウミガメを展示しているところは少ない。その4種のウミガメを区別する方法は、第1に甲羅の色であるが、第2には甲羅の枚数である。ウミガメの甲羅は3列に並んでいる。真中の列の甲羅(椎甲板:ついこうばん)は亀甲(きっこう)模様になっている。6角形になっているわけである。亀甲模様になっているカメは、アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイの3種で、ヒメウミガメでは不揃いである。両側の甲羅(肋甲板:ろっこうばん)はというと、亀甲模様にはなっていない。

アカウミガメの背甲の枚数は肋甲板5対(10枚)、椎甲板5枚、合計15枚である。基本的に甲板枚数は15枚に決まっているが、1枚の甲板が2枚に分かれていたり、2枚の甲板が癒合している場合も見られる(図1)。背甲は海藻に覆われており、カメフジツボやエボシガイが付着している場合も多い。そして海藻の間を住処としているワレカラ、ヨコエビの仲間などが見られる。

 ウミガメ類の前肢は泳ぐのに適したヒレ状の前足をしているが、ヒレに爪が1ヶ所か2ヶ所に見られる。2ヶ所に見られるのはアカウミガメかタイマイで、これも種の識別の目安になる。アオウミガメでも爪が2ヶ所にあるものが見られる。

2)分布

 日本での有数な産卵場は、日本沿岸の本州中部(茨城県)以南の太平洋側、及び能登半島、鳥取、島根以西の日本海側である。奄美、沖縄、八重山群島にも産卵地があるが、九州より北に大きな産卵地がある。中国南部、台湾、ベトナムなどの東南アジアに産卵が知られているが、詳しい情報はない。日本海側では1962年に石川県内灘海岸に産卵した例が、日本における北限とされているようである。1983年に石川県鳳至郡に産卵が確認されたが、孵化には至らなかったようである。

日本以外での分布については第4章で述べることにした。

3)発生

(1) 卵から孵化まで

ウミガメの発生について日本で最初に研究を始めた方は、東大の箕作佳吉先生で、1893年に静岡県相良海岸で採集した卵を用いて嚢胚形成過程を観察された。題名が「ケロニアの嚢胚形成」となっているが、ケロニア(アオウミガメ)は静岡県には上陸産卵しないと思われるので、カレッタ(アカウミガメ)の間違いと思われる。箕作先生は動物学雑誌にそのあたりのいきさつを書かれているはずだが、私はまだ見ていない。「採集と飼育」1巻10号に「遠州相良へ出張の節の日記」というのが載っている(明治24年の7)が、その中では、カメまたはウミガメとのみ出ていて、アカウミガメまたはアオウミガメの名称は出てこない。いずれにしろ、ウミガメの発生については、その生態が殆ど知られていなかった19世紀の末には日本での研究が始まっていたということである。

カレッタ(アカウミガメ)属の名称は、リンネが1758年にアカウミガメについて用いた。その後、1820年にはメレム氏がTestudo carettaCaretta carettaとした。1828年にはバリイ氏がChelonia caretta とし、1835年にはフィッツジンガー氏がChelonia属に入れた。1839年にはChelonia cephaloの名前も用いられた。その後はCaouana属に入ったりThallasochelys属に入っていたりしていたが、1979年にアンダーソン氏によって確定したようである。私が屋久島でウミガメを調査していた頃は、図鑑ではアカウミガメはLepidochelys(ヒメウミガメ)が用いられていたほどで、大間違いな学名を載せていて、混乱が後を引いていた。

発生については、その後は藤原正武先生の一連の研究があるが、それは1960年代のことであった。藤原先生は鹿児島県屋久島の栗生(くりお)海岸でアカウミガメの卵を入手され、研究された。また、川西弘先生は、1956年ごろ徳島県海部郡日和佐海岸でアカウミガメの卵を採取され、血管発生を調べられた。熊本大学医学部の宮山先生らは、1974年から鹿児島県屋久島でアカウミガメの卵を採取し発生の研究をしておられた。私が屋久島でウミガメを調査していた頃にウミガメの卵発生の研究をしておられたので、お会いしてお話を聞くことができた。

卵に関して今でも不思議に思っていることがある。それは、ウミガメの卵白が加熱しても固まらないことである。アカウミガメについても、アオウミガメについても卵白は固まらなかった。ハ虫類の卵白は皆ウミガメと同様に、熱しても固まらないのであろうか。

(2)卵の中の変化

 卵の中での変化については、南部川村立清川小学校教諭の上村(うえむら)修先生の報告から引用させていただくことにした。

産卵直後は淡いクリーム色で光沢のあった卵は、次第に白っぽく風化されたようになり、球形であったものが少しいびつになります。15日目の胚は約1cmで非常に小さいながらも既に眼球が形成されています。30日目、胚は約2cmに成長し、頭でっかちで眼球は黒く大きく、背骨、背甲は半透明、手足には5本の指骨がはっきりと認められます。

40日目になると、胚は約4cmと大きく成長し、背甲は黒く硬く、羊膜の中で手足と目をゆるやかに動かしています。卵黄はまだ多く残されていますが、子ガメの姿が十分出来上がり、卵黄の表面には網の目のように枝分かれした血管がみられます。また50日目には、卵の表面は白く乾き、少し乱暴に扱うと殻がバリバリと裂けてしまいそうになります。卵の中ですっかり子ガメの姿に成長した胚は、全身黒く眼球がキョロキョロとよく動き、まばたきもします。あと数日で、残された卵黄が吸収され尽くすと、いよいよ子ガメの孵化が始まります。孵化時の子ガメの体長は7cm、体重は約19gでした。

(3)転卵の影響

 普通、鶏のような鳥類の卵は、転卵が必要である。この、転卵という作業が必要なのは、巣の中で卵を抱くときに卵の上下を変えないと、卵の中の温度が均一にならず、卵が死んでしまう、すなわち胚の発生が止まってしまうためである。それでは、孵卵器で、器内温度を38℃に保温した場合は、卵全体の温度は均一になるのであるが、その場合に胚が順調に発育してゆくかというと、そうとは限らないのである。

理由は良く知らないが、物理的な動作である「転卵」は、孵卵器を使った場合でも必要である。それでは、孵卵器に入った卵を、1日に1回手作業で転卵すれば良いかというと、それでは少なすぎるのである。私は、かつて北海道でマガモの孵化を手がけたことがあるが、1000個程度の卵を一度に孵化させるので、一つ一つの卵を回転するのは不可能な作業であった。そこで使っていた大型の孵卵器は、完全な転卵は行わず、右へ、左へと大きく傾けるように装置ができていた。

 それでは、ウミガメの場合はどうであろうか。ウミガメの卵は、砂の中に産みっぱなしで放置される。砂の温度は上下左右ともほぼ一定の温度をしており、転卵の必要は無いようである。そして、逆にウミガメの卵を転卵すると、発生がうまく進まずに死んでしまうことがわかった。産み終えた卵を、泥棒や外敵から守るために卵を移動して孵化場に埋めなおすようなことが、世界中で行われたが、その結果、孵化してきたウミガメの生残率がばらばらであった。その理由は、産卵後2日以内程度の卵の回転は、それほど孵化率に影響を与えないが、それ以上の日数が経過した卵を移動する場合は、卵の上下関係を変えることは、発生の停止を引き起こすためであった。このことは、日本でも古くから調べられていたようである。

 鳥の卵の場合は、転卵が必須であるのに対して、ウミガメの場合には、致命的であるわけである。

(4)地温と性の決定

 性の決定は、繁殖戦略の一つであるらしい。基本的には卵を産む雌は体が大きい。それは、多くの卵を産むためであろう。雄は付属品のようなものである。しかし極端に少ない数しか産まない生き物(猿などのけもの)の場合は、別の戦略を使い、群れやハレムを形成したりする。リーダーや巨大な雄が多数の雌を占有するのである。ナワバリを構える鳥類も、雄がやや大きいが、ワシ・タカ類のように雌が大きい場合もある。

ウミガメの場合は、雄も雌もそれほど大きさに違いはないが、産卵をしなければならない雌の方が、やや大きい場合が多いようである。

ウミガメの性の決定には、両親は関与しておらず、産み落とされた砂浜が、その砂の内部温度が、子ガメたちの性を決定するのである。いわば、大地が、自らの子どもたちを雌にするか、雄にするかを決めるのであり、親ガメ達は大地にその比率を全託するのである。すなわち、孵化するウミガメは低温の場合はオスが多くなる傾向を示すのである。このように温度によって性が決まるのはワニとカメの仲間である。

アカウミガメの場合、地温が28℃以下で孵化させると過半数がオスになり、29度以上では過半数がメスになる。30℃以上では殆どがメスとなるようである。外国の研究例では、50%メスになる温度を28.6℃とした。砂中の温度が変化すると、雌雄の比が変動するので、同じ場所での子ガメの性は、猛暑の年はメスが多くなり、冷夏の年はオスが多くなると考えられた。また、日本の産卵地は静岡県から沖縄県に及んでいることから、沖縄ではメスの割合が多く、静岡県ではオスの割合が多くなっている可能性も十分考えられた。

 アオウミガメの場合も、同様の傾向を示すことが知られているが、このことは、ウミガメが産卵を3回以上に分けて、1ヶ月以上の期間に産むことで、性の偏りを防いでいる可能性がある。

言い替えてみると、ウミガメは、結果的には雌雄が片寄らないために、寒い小氷河期には産卵地を南に移し、温暖期には北まで分布を広げることによって、雌雄の比率を守ろうとしたのかも知れない。ウミガメは、温暖期には可能な限り北へ分布を広げようとするのではないか。温暖期の熱帯では雌のみしか発生しない地域が大半を占めてしまう可能性がある。親ガメ達が大地にその雌雄の比率を全託しつつもたぶん若いウミアメたちが、新天地をめざして、北へ産卵しに行くのであろう。

屋久島において、5月のまだ水温のそれほど高くない時期に産卵を開始する個体は、その後の個体に比べて体が大きいようなのである。屋久島において標識調査と体調測定をした結果、このような傾向が見られたが、その理由は、生活域から目的の産卵地に至るまでの泳ぐ速さ、すなわち遊泳力の差を表しているのであろうか。

(5)孵化

 温度を30℃に保つと約50日で孵化する。気温を低くすると孵化にかかる日数が増加する。そこで積算温度という考え方が出されているが、それによると1250度程度とされるので、平均気温がわかったばあいの式は、

D=1250(T-5):Dは日数、Tは孵化期間中の平均温度()

となる。例えば平均温度が28℃であれば54日、30℃であれば50日となる。言い替えると、毎日の砂中の温度がわかれば、その温度から5度を引き、その数の積み立てて、合計が1250になった日に孵化が始まるということである。

 また、松沢慶将氏らは、和歌山県で孵化日数と温度の関係を調べ以下の式を得た。

D=558.9(T-18.8)

:Dは日数、Tは孵化期間中の砂中(50cm)平均温度()

例えば平均温度が28℃であれば61日、30℃であれば50日となる。これも言い替えると、毎日の温度(砂中50cmの温度を午前中に測ればよい)から19度を引いて、その積み立て合計が560になった次の日に孵化が始まると考えればよいわけである。

 

孵化は、ほぼ同時に起こるようである。北海道で飼育したマガモの卵の孵化の場合も、1匹の孵化の振動が、他の卵の孵化を促し、次々に孵化が進んでゆくようであった。

とはいえ、発生の進行が同じ速度で進んでゆかない場合ももちろん多く、子ガメの地上への脱出が1日で終わるわけではなかった。孵化して地上へ脱出する様子については、屋久島での観察例を、次の生態のところで述べることにする。

4) 生態

 ライフサイクルについては、先におおよそ述べたが、まだ不明の部分が多い。ここでは、雌の上陸産卵、孵化の様子を主に述べてみたい。ここに上げた資料は、屋久島で筆者が観察した結果(1976年~1978年)を基にしており、さらにこれまでの他の研究者の成果を加えたものである。

(1)上陸産卵

・上陸の始まる時期

 ウミガメは、青葉の茂る5月になると上陸産卵を始めたとのニュースに接することができるようになる。アカウミガメの産卵地として有名なのは、九州(鹿児島県)の屋久島であるが、ここで産卵が始まるのが5月初めである。5月中旬には宮崎県、四国の高知県で産卵の報告がされるようになり、5月下旬には紀州和歌山県からの報告がもたらされる。

6月に入ると静岡、千葉県まで北上する。茨城県では、年に数例から十数例の産卵が報告され、太平洋側のアカウミガメ北上前線は終了する。しかし、稀に福島県での産卵が報告されることもあり、勿来海岸でかつて産卵例あり、また、200086日にはいわき市四倉海岸での産卵が平治隆氏により報じられた。千葉県の九十九里浜で東京水産大学が調べた例では、産卵は710日から810日にかけて見られ、大原町では手塚幸夫氏により918日までに6回の産卵が確認された(平成12)

私も現在は千葉県の住民であり館山市の平砂浦海岸での調査を報告したことがあった。その後は千葉県の上陸産卵について毎年幾つかの報告が見られるようになり、個々のデータが蓄積されてきている。今後は東京水産大学か、他の研究機関(水族館、博物館)が「連絡協議会」のようなものを設置して千葉県での状況をまとめていただきたいと願っている。

 東シナ海から日本海側にかけては、鹿児島県の吹き上げ浜に5月中旬に上陸が知られ、熊本長崎では5月下旬頃から産卵し始める。6月に入ると、日本海側の各県で報告されるようになり、6月中旬には島根・鳥取・京都、新潟の能登半島に達して北上を終了する。

 瀬戸内海は外洋に面していないので子ガメの外洋への脱出に不利だと思われるが、兵庫県明石の藤江海岸や香川県の小豆島等に産卵が知られている。これにはそれなりの戦略があるのであろうか。

 九州以南の例では、沖縄の八重山諸島に属する黒島で、4月中旬に始まり7月中旬までが産卵期である。

上陸してくる個体は、産卵シーズンの早い頃には甲長の長い個体が多く、次第に甲長の短い個体が上陸してくるようになる。大きな個体ほど早く産卵地に到着するらしいのである(2)。また、甲長と甲幅の関係を調べてみると、大型個体ほど甲長がより長くなる傾向を示した。ウミガメは、成熟後も伸長成長を続けるらしいのである。大きい固体ほど、やや細長くなるということである。

・上陸距離

 ウミガメが上陸してから産卵穴を掘るまでの距離については、これまで公表されている記録は少ない。それは、適当な大きさと広さを持った浜に適当な数のウミガメが上陸してくるような場所が少ないことと、上陸地点からの距離の確定がむずかしいことなど、いくつかの要因があって、困難を伴うためである。基本的には、浜の傾斜が、上陸距離に影響していると見て良いのではないか。私は、20年前に九州の屋久島で調べた結果を、千葉県生物学会誌に発表したが、この20年間に私と似た研究を発表した人はいなかった。試みた人はいるのだろうが、証拠不十分で発表するまでに至らなかったのではなかろうか。この調査、研究には、数人のチームワークが必要と推定されるからである。

 私の場合は、3年間産卵行動を調べて、隅ずみまで知りつくした1km程の距離の浜で、上陸距離を測定する目的で集中調査を実施したことで、ある程度の傾向を示すことができた。たぶん今後は、性能の良い器機類を用いて、上陸距離をトレースすることができるようになり、より明確な傾向を示すことができるであろう。

 千葉県生物学会誌にこのまとめを載せたことがある。20年前のデータを基にしたものではあるが、本邦で初めて公表されたデータであろう。そしてその内容(要旨)は、以下のようなものである。

 アカウミガメとアオウミガメの産卵行動を、特に産卵のための上陸距離に着目して研究した。観察およびデータ収集を1981年7月7日から7月17日の期間、鹿児島県屋久島のいなか浜において実施した。調査期間中、産卵した75個体のアカウミガメのうち、69個体の産卵上陸距離を測定した。その距離は最短13.4m、最長82.0mで、平均距離は、39.2mであった。他方、アオウミガメはアカウミガメに比べて、個体数が少なく、期間中上陸が確認された個体は11頭にすぎなかった。そのうち産卵した個体(産卵のために穴を掘った個体を含む)は6頭で、その6頭を対象に産卵上陸距離を測定したところ、その距離は最短27.2m、最長174.5m、平均距離は73.0mであった。

・上陸場所

 ウミガメは、どの様にして産卵が可能な砂浜を見つけだすのであろうか。1つは、サケが生まれた川に戻ってくるように、ウミガメも生まれた浜に戻ってくるという説がある。自分が生まれた浜は、たぶん10年や20年経っても同じように存続しているであろうから、この方法を身につけていれば、ほぼ確実に子孫を残してゆけるわけである。たぶんこれは正しいであろう。しかし、ウミガメが、サケほど融通が利かないとも思えないから、回遊中に自らのふるさとの浜に帰れない場合には、適当と思われる浜に上陸し産卵するのではないか。悠久の長さにも思える時間は、ウミガメにとって永遠に近い時間とは考えられず、地球上の地形や砂浜は、出現と消滅を短期間に繰り返しているようにウミガメには写るのではなかろうか。もしも、融通が利かないならば、卵数を今の10倍とか100倍程度の増やして、子孫の絶滅を回避するであろう。

 最近の研究によると、卵から孵化して海にたどり着く間に、子ガメは海の方向と孵化場所を磁気的に記憶してしまうらしいことが分かってきた。その後20年かそれ以上の年数を経て親となり、磁気的な記憶を頼りに生まれ故郷に戻ってくるらしい。

・産卵

 アカウミガメは初夏の期間に上陸し産卵する。アカウミガメの典型的な産卵地は、日本では九州、四国地方と思われる。この地方では、5月に産卵が開始され7月末まで約80日前後が産卵期間である。1頭のウミガメは1産卵期間(シーズン)に3回程度上陸産卵することが知られている。

 ウミガメが1シーズンに1回しか産卵しないであろうと考えられていた期間は長い。日本でアカウミガメが数回産卵するということを初めて明らかにしたのは、1970年?の内田至先生の調査が初めてであった。ただし、小笠原では、アオウミガメの孵化放流事業は明治から始まっており、アオウミガメが1シーズンに数回の産卵をすることは、知られていた。1970年から小笠原水産センター所長をされていた(1994年まで?)倉田洋二先生は、同じ頃にアオウミガメの産卵回数の詳細調査を実施されている。

 多くの日本のアカウミガメの産卵地で、1頭のウミガメが2回、3回と上陸が確認されるようになったのは1980年代になってからである。その頃まで、ウミガメの卵は食用にされ、産卵する浜は護岸工事や砂採取が当たり前のごとく行われ、リゾートホテルが次々と建設されていた。そんな中で、アカウミガメの産卵する浜の環境を守ろうと言う運動が各地で始まる。日本では、環境庁ができた頃が、産業の発展に歯止めが必要であり、自然との調和が、種の絶滅を抑え、種の多様性が保たれている環境ほど豊かであるとされる意見が、公にされるようになってきた。

 2000年代の東南アジアで始まりつつある自然環境保護運動は、まだ始まったばかりであり、多くの一般人を巻き込むに至っていない。

屋久島の例では第1回目の産卵から第2回目の産卵までの期間は14日程度である。 第2回目から第3回目までの間も約15日程度である。アカウミガメは1回に120個程度の卵を生むが、その重さは3~4kg程度であり、3回産卵した場合は10kg程度の重さに達する。ウミガメは、産卵と産卵の間の期間も浜の近傍に留まるが、採餌行動はほとんどとらないことが知られている。体内に蓄積されたエネルギーを消耗しつつ、卵生成を続けるわけである。サケの様に消耗して死んでしまうには至らないが、相当の重労働であると推察できる。アカウミガメの重さは、80100kg程度であろうから、体重の1015%程度を卵として放出し、1カ月間絶食することの大変さを理解できるであろうか。

 人間の場合も、水分さえ補給されれば1カ月程度の絶食は可能とされている。私も、1週間の絶食を経験したことがある。絶食の間は、静かにしていても、体重が減ってゆくし、重労働は、腹に力が入らないために、困難である。力仕事をした場合は、精神的に非常に消耗した感覚になる。それゆえ、ウミガメの、それまでの、体重を重さと感じなかった水中生活から、浜への上陸、産卵穴までの移動、そして穴掘り、産卵、穴埋め、カモフラージュ、降海という一連の行動は、肉体的にも精神的にも最大の重労働であろうと思われるのである。

何故にこのような大変な苦しみを伴う方法で産卵しなければならないのであろうか。第1回目の産卵が無事に済み、海に入ったときには、また元の浮力を得て重力からは解放されるが、2週間の間に絶食をしつつ卵を120個程度腹に成熟させなければならない。

ウミガメは、気だるさや、脱力感からは無縁なのかも知れない。体内に蓄積した蛋白や脂肪を使って卵形成をすると考えられるのだが、それは、一種の充実感なのかも知れない。

第2回目の産卵を無事に終えると、また近海に留まり、第3回目の産卵のために体内の卵の成熟を待つのである。不思議なことに、第2回目から第3回目までの間の期間は、第1回目と第2回目の間の期間より短くなっている。卵の成熟は、水温の上昇とともに早まるのかも知れない。ウミガメは、変温動物のハ虫類であるからその可能性が強い。

 ウミガメは、鳴き声を出さない。そのため、産卵の苦しみを人間たちは耳から理解することはできない。心の耳を、心の目を持った人たちには、ウミガメが本能的に行っているように見える行動の中に、産卵の苦しみや、義務を果たした達成感や、卵を守りきれない悲しみを感じとれるのであろう。

 ウミガメの産卵期間は5月から7月にかけてであるが、上陸頭数は次第に増えてゆく。5月に上陸する個体は、6月に上陸する個体よりはやや大きい傾向がある。最初のウミガメが上陸してその後個体数は急に増加するが、それは新規参入個体と再上陸個体の合計が上陸してくるためである。7月上旬にピークがきてその後は急激に減少し、7月末にほとんどの産卵は終了する。5月中旬に産卵された卵は、2カ月程度で孵化が始まる。

 ウミガメは主に夜に上陸産卵をする。上陸の時刻は、満潮時に上陸してくるのがもっとも都合が良く、体力を消耗させずに海から離れたところに行きつくことができる。そして大潮の満潮時がもっとも効率よく、浜の奥の部分、波の届かない部分に産卵できることになる。また、新月の時は暗いために外敵にも見つかりにくいであろう。このことを証明しようとしていくつかの研究がなされてきたが、明確な傾向性を示すことはできなかった。ウミガメが潮の干満を感知していないとは言えない。しかし、大潮の満潮時は、午後の6時前後か、朝の6時前後で、まだ日が暮れずに明るいか、もはや陽が上って暑くなり始めている時間である。まったく外敵のいない無人島では、このような行動は維持されているかも知れないが、ふつうは人間に見つかり易い昼間や、明るさの残っている間は避けるようになっているのであろう。

 

(2)孵化、すなわち地上への脱出

 発生のところで述べたように、地温を30℃に保つと約50日で孵化する。5月の地温はやや低く25℃を越えるのは6月に入ってからのことである。そこで積算温度という考え方が出されているが、それによると1,250度程度とされる。

 積算温度は、産卵日から孵化日までの(その日の平均地温-5)の合計で表されることから地温の測定により、孵化日の推定がある程度可能であり、その浜の地温のデータが蓄積されていることも、推定を助ける。

 子ガメが地上に脱出するのは主に夜である。まったく昼間に脱出しないわけではなく、昼間に雨が降った直後、及び晴れていた天気が急激に曇空に変化した場合にも脱出が見られた。たぶん表面に近いところまできて、待機していたカメが温度変化を認識して脱出を開始し、その行動に刺激されて、その下に待機していた子ガメの脱出が続くものと思われた。完全にすべての子ガメが脱出するのに3~4日かかるが、うまく他の子ガメ達について行けずに砂中に取り残される場合もある。そして、取り残されたものの中でも自力で脱出するものもあり、様々である。次に2つの例を示してみよう。

表1 孵化個体の脱出数(

(3)成長

 子ガメの成長については、飼育されたものについてのデータは相当に集まっている。また各水族館では、漁師の網にかかって保護された個体を飼育し、その記録を取っているところも多い。当歳カメの漂着個体のデータも成長の様子を知る手がかりとなっている。

 孵化した子ガメの大きさについて、屋久島の例を述べると、20例の平均甲長は4.2cm、平均甲幅は3.3cmであった。このときの体重は測定していない。愛知県渥美町の例(南知多生物研究会)では甲長3.8cm、甲幅3.1cm、体重12.4gであった。

 孵化子ガメの半年飼育では、甲長が8.6cm、体重167g(黒島・御前洋氏)の例がある。また別の例では、1年後には甲長1520cm程度の生長した記録がある。しかし、自然状態での情報は少ない。例えば、197698日に串本と大島の間で捕獲された例では、甲長5.5cm、体重35gであった。この大きさに成長するのには飼育下では90日と述べている(宮脇逸朗)が、98日から逆算すると、68日となり、この頃に日本でアカウミガメが孵化する場所は知られていない。体表にはエボシガイやフジツボも付着していたことから、この子ガメは1年以上経ったカメであると思われ、そうだとすると、非常に成長が遅いことになる。また、1年以上にわたって外洋に流されずに日本近海に生息していたと考えると、不思議と言わざるを得ない。沖縄産まれの子ガメが、東シナ海を1年近く漂流し、その後黒潮に乗って北上しつつあったのかもしれない。

雌の親ガメについては、繁殖可能な成熟個体になったあとも、伸長成長をし続けているようである。屋久島で1988年に産卵上陸してくる109個体の直甲長と直甲幅を調べたが、直甲長の最小の個体は77cm、最大の個体は108cmの長さであった。また、甲幅は63cm78cmの間であった。

成熟後も伸長成長を続けるという考えを発表したのは1978年のことであったが、これについては、その後、似たような発表が数例なされており、ほぼ確実となった。ワニなどにはふつうの現象であるが、ウミガメの場合は甲幅と甲長との関係を調べて、成長するとともに縦長の流線型に近づくと考えたのであった。この縦長に成長し続ける傾向は、たぶん回遊距離が年齢とともに長くまたは広くなる傾向を推定させる。

また、浜に到着し産卵を開始するウミガメの大きさを測ってみると、初めは大きい個体が多い傾向を示すことも1978年の屋久島での調査で明らかになった。

 南知多ビーチランドでは、1980年に孵化したアカウミガメが19年目の19987月に産卵した。卵は孵化はしなかった。その時の母ガメの直甲長は85cmであった。同じカメが19997月に67個の卵を産んだが、このときも孵化しなかった。また、2回目の産卵も確認されなかった。

今後は人工衛星を使っての回遊の様子を探ることは、ウミガメ研究の花形となるであろうことから、この考えが証明されるかも知れない。

(4)回遊

・子ガメの回遊

 おおよそはp9で述べた。孵化した子ガメは、一目散に海に向かう。この過程で海の方向や場所を磁気的に記憶してしまうらしいことも先に触れた。子ガメの遊泳力は小さく、流れ藻の下に隠れながら生活し、流れ藻に生息する甲殻類や藻を食べて、藻とともに移動しながら成長するようである。背甲及び腹甲は濃褐色で手足も同色である。背に3筋の肋が縦に走っていて、親ガメの背中のように滑らかではない。

 1年程度で、甲長は10cm程度、体重200g程度となり、遊泳と流れ藻の下での生活を繰り返しながら、水深30m未満の沿岸に到達すると定着生活に入るようである。日本の太平洋側で孵化したものの中には、太平洋を潮流に乗って北アメリカから中央アメリカまで達するものもいる。

幼体の初期に、北に流され過ぎると、水温低下のため、死亡すると考えられる。ウミガメ類は、回遊中は地磁気を感知して自己の位置を知る事ができるようであるので、可能な限り水温の高い南への遊泳を試みていると推定される。日本の太平洋側において誕生した子ガメは、広く太平洋に分散していると見られ、特に特定のアカウミガメの子ガメが集中する場所は知られていない。九州で孵化したウミガメが3年後にはメキシコ沖に渡っている例や、20年以上に成長したアカウミガメが日本に回遊してくることが標識調査、DNA鑑定調査などから明らかになっている。しかし、亜成体が捕獲される場所は、少ないので、今のところ不明な点も多い。

・親ガメの回遊

 親ガメが産卵以後日本近海を去ってしまう。 標識調査は、腐らない標識、丈夫さなどの研究が内田先生らによってなされ、甲ら及び前肢へのプラスチックタグ装着、その簡単な装着具などに開発など、基本的なウミガメ調査用具の開発が1970年代になされた。そして共通の標識が用いられるようになるには、「日本ウミガメ協議会」の設置を待たなければならなかった。それは1990年のことであった。

 それまで、ウミガメの保護に情熱を傾けた多くのアマチュアによる、独自に標識を付けた放流の継続によって、いくつかの重要な成果が明らかにされてきた。

 アカウミガメのうちの幾つかの個体群は、太平洋を横断して北アメリカの西海岸に達しているらしいことが、次第に明らかになっている。アカウミガメが、時々100m以上もの深さに潜水することが知られているが、これは、海の中層を流れる海流に乗って移動する方法であるらしい。黒潮海流は時には5ノット?程度で流れるので、1日200km10日で2,000km程度の移動は可能なようである。

・標識調査

 中島義人氏らは、宮崎県で1977年からおやガメの標識調査を実施し、回帰データ及び回遊データを得てきた。その結果、2年後に回帰産卵した例、和歌山県で別の年に産卵した例などがあった。

 海上で捕獲された28例のうち宮崎県より東側が7例、西側が21例で、東シナ海で多くが捕獲され、アカウミガメの採餌区域として、東シナ海の重要性が認識されるようになった。 

・人工衛星を使った調査

 ウミガメの人工衛星を使った調査は、日本では相馬正樹氏が中心になって推進されてきた。1972年に静岡県御前崎で、精密型方向探知機(方向)と受信電界強度から距離を求める方法が採用され調査された。潜水震度も水圧センサーにより記録された。

 1984年には徳島県蒲生田岬において45日間にわたる人工衛星による追跡が行われたが、期待されたほどのデータは得られなかった。1995年には坂本教授(京都大学)らが、和歌山県千里海岸で人工衛星を用いた追跡がなされ40日間、1700kmの追跡に成功した。

 社団法人日本水産資源保護協会は、水産庁の委託を受けてウミガメ類3種(アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイ)の海洋における回遊経路を追跡した。その結果をまとめた金子泰通氏によると、アカウミガメは、太平洋の沖合へ大きく回遊するものと、東シナ海沖合へ回遊し、同地域に留まる個体群があるとのことであった。

 米国アリゾナ大学のウオレス・ニコルスさんらのチームは、1996年8月10日にメキシコでアカウミガメのAdelitaを放流した結果、19977月には日本近海に到着していたことが判明した。メキシコから太平洋を1年弱の時間で、15000キロ程度を泳ぎ渡ったわけであった。また、バハ・カリフォルニア半島沖で捕獲したアカウミガメ「ジャミレ:Yamilet」に小型発信機を着けて人工衛星による追跡を行ったが、この個体はハワイと日本の中間のあたりまで追跡されたが、日本近海に至る前に通信が途絶えた。ジャミレの移動の様子は、インターネットで入手できる。

 これらのことから、日本を産卵場とするアカウミガメの内の太平洋に分散する個体群には、太平洋を横断し大回遊をする個体群があることが明らかになってきた。

3-2、アオウミガメの分布と生態

1) アオウミガメの特徴

 アオウミガメという名称は、背中の甲羅、頭、四肢などが青みを帯びていることから命名されたようである。頭部は、他のウミガメに比べると小さくヘビの頭を思わせる。英語では印象が日本と似ていたせいか、Green Turtle(緑のウミガメ)と呼ばれている。日本では正覚坊(しょうがくぼう・大酒飲み)と呼ばれることもあるが、その名の由来は何であろうか。

 ヒレ状の前足は、アカウミガメ、ヒメウミガメより発達しており、タイマイとは同程度、オサガメよりは発達していない。

 頭は、大きなウロコをはめ込まれた形をしているのは、他のウミガメと同様であるが、ひたいにあるウロコは、1対(2枚)のみである。アカウミガメは2対+1で5枚、タイマイやヒメウミガメは2対(4枚)であるので、識別の目安になる。

 歯は、歯並びがあり、草を噛みきるのに適しているようである。喉のところに刺状の柔らかい突起が多数あることから、クラゲなどの浮遊性の腔腸動物も食べると推定している。ある水族館で、クラゲを捕食した例が知られている。亜熱帯から熱帯にかけて分布する海草類のアマモやヒルムシロ類を主食としているが、腸内からビニール類が見つかることから、回遊中は流れ藻を主食にしていると思われる。餌場としては、水深50m未満の海草藻場水域を主な場所としている。アカウミガメ同様、時には100m以上も潜ることもあるが、この深さでの行動は不明であるが、潮の流れを使った長距離移動と関係があるらしい。

 甲らの大きさはおよそ縦90cm、横70cm程度の楕円形で前方が膨らみ、後方はややとがっているが、アカウミガメよりも全体に円みを帯びている。アカウミガメと同様、甲羅の中央の列は亀甲模様をしている。しかし最上部の首に近いところの甲羅(椎甲板)は、亀甲模様とはいえない形をしているが、それは、アカウミガメと比べると肋甲板が1対少ないためであることがわかる。アオウミガメの背甲の枚数は肋甲板5枚、椎甲板左右4枚、計13枚である。基本的に甲板枚数は13枚に決まっている(図参照)。背甲にカメフジツボが付着している場合があるが、アカウミガメほど頻繁ではない。また、背甲に海藻が付着するのは希である。オスとメスでは、メスのほうが体が大きい。1982年に小笠原で捕獲された成熟メス38個体について、甲長と体重を見ると、甲長の範囲は82.3106.7cm(平均94.0cm)、体重は95.0167.0kg(平均133.6kg)であった。湾岸(中東)の例では、メスの曲甲長(直甲長ではない)99cm(43頭の平均)であった。メスの平均体重(18)121kgあった。小笠原のアオウミガメのほうが、やや大きいようである。

ウミガメ類は泳ぐのに適したヒレ状の前足をしているが、ヒレに爪が1ヶ所か2ヶ所に見られる。アオウミガメも1ヶ所または2ヶ所に爪が見られる。

アオウミガメの雌雄を外見上から見分けるには、アカウミガメと同様、尾の長さを比べるのが良く、尾の太くて長い方がオスで、メスは10cm前後しかない。

ハ虫類であるが、草食性のため肉が良質で、古くから食用とされてきた。

2)分布

 生息域は、アカウミガメよりやや年間平均水温が高い暖かい海域であるが、若齢個体は沖縄から屋久島にかけてと、伊豆七島などの島嶼付近で見られる。産卵地は冬の平均気温が20℃程度ある場所のようである。冬季には日本海側の富山県、石川県、新潟県、秋田県の沿岸に漂着例が知られている。

 亜熱帯地域から熱帯にかけての地域で産卵する。ウミガメ類の中では、産卵地がアカウミガメよりも広い分布を示す。台湾、ベトナムなどの東南アジアからの詳しい情報はない。海外の情報については、項を改めて述べる。

 アオウミガメは、日本では主に沖縄に産卵地が知られており、奄美諸島以南が産卵地とされていた。沖縄におけるアオウミガメの主要な産卵地は、黒島、沖縄本島北部などであるが、その数はそれほど多くなかったが、最近は増加傾向にある。沖縄では6月上旬から8月上旬にかけて上陸産卵が見られる。

小笠原では早い年では3月から産卵が見られることがあるが、普通は4月からである。小笠原諸島は、明治の頃からアオウミガメを毎年捕獲し、その捕獲頭数も戦中戦後の一時期を除いて調査されてきた。小笠原では、漁業的捕獲が継続して行われており、近年は、毎年100頭前後が捕獲されている。

最盛時(明治時代)には1シーズンに1,800頭も捕獲された時期があったが、それから見ると、今日は、激減したと言える。1980年代の初めは100200前後の産卵巣数であったが、1998年には600巣、1999年も601巣となり増加している。父島でアオウミガメが多く産卵する場所は、初寝浦とその隣にある北初寝浦で、初寝浦の方が大きい。人家は全く無く、街灯も無い。車道から急な山道を下ってたどり着いた浜は、正面に東島が見え、波の音だけが聞こえる静かな浜であった。また南島での産卵数も増えているが、植生も回復しつつあるとの情報もあり、嬉しいことである。この島は無人島ではあるが、砂浜が美しいこと、石灰岩地形でドリーネがあり景観的にも興味深い場所である。

 鹿児島県の屋久島では、1976年(昭和51年)5月25日に筆者がアオウミガメの上陸産卵を記録したが、これが日本での上陸位置の北限を書き換える快挙であるとは、思いもしなかった。アオウミガメはその年、延べ14頭の上陸産卵を記録した。1977年は、アオウミガメの上陸は見られなかったが、アカウミガメの上陸頭数も1976年の半分程度であり、天候不順のため水温低下で推移したためと思われた。1978年は5月23日にアオウミガメの初上陸がみられ、4回の上陸が観察された。また、1981年は11日間の調査しかしなかったが、アオウミガメ13頭の上陸を確認した。これらのことから、屋久島がアオウミガメの、産卵地としては日本で北限であろうと推定された。ただし、アオウミガメの全く上がらない年もたまにあるらしいことも分かった。

 その後、20年経過した1999年に、九州本土にアオウミガメが産卵したのが報告された。これは、指宿郡の石垣海岸においてのことであった。発見者は頴娃町のウミガメ保護監視員、石本宏二氏で、鮫島正道氏が報告している。この発見は、子ガメの孵化によるもので、その後の調査により、2回、同一のアオウミガメが産卵したらしいことも判明した。この発見は、貴重であるが、地球温暖化のせいではないかと懸念する向きもある。

 もう一つの例は、種子島の長浜に産卵したと思える写真が下野敏見著「タネガシマ風物詩」に掲載されているそうである。屋久島のすぐ北にある種子島にアオウミガメが産卵してもおかしくない。恒常的な産卵地であるかどうかは、今後の調査を待ちたい。

 小笠原はアオウミガメの産卵地であるが、アカウミガメ、タイマイの恒常的産卵地は知られていない。屋久島にはアカウミガメとアオウミガメの2種が同じ浜に産卵していることが私の調査で明らかになった。沖縄では、アオウミガメとアカウミガメが同じ浜を利用している例、アオウミガメとタイマイが同じ浜を利用している例が知られている。しかし小笠原は、アオウミガメ1種のみの産卵場のようである。私は6年余り小笠原に住んだが、アオウミガメ以外の小笠原での上陸産卵の情報は得なかったが、1989年と1992年に産卵した例が報告されており、孵化も確認されている。これは稀なケースのようである。

 先に述べたように、最近では日本におけるアオウミガメの産卵の北限は、鹿児島県の屋久島とされるようになった。この発見の最初の人は誰かということについては、私のほかに2名の方が、それを主張しておられるようである。一人は日本のウミガメの権威者で、名古屋港水族館の館長をしておられる内田至先生。他の一人は屋久島で1985年からウミガメの産卵地の保護をやっておられる大牟田一美氏である。両者とも、私がアオウミガメの産卵を発見し、教えてあげた方であるのに、自分が最初に発見したかのようにおっしゃっているのである。

 アオウミガメの上陸産卵は、先に述べたように1999年になって、鹿児島県の指宿郡石垣海岸に上陸したのが確認され、屋久島北限説が怪しくなってきた。種子島でも上陸しているアオウミガメの写真に撮られているので、産卵、孵化が確認されるのは時間の問題であろう。このまま地球温暖化が進めば、たぶんもっと北の宮崎県や四国に上陸するようになるかもしれないのである。皆様のうちの誰かが、新しいアオウミガメの上陸地発見者にならないとも限らない。なぜなら、私の場合はウミガメについてはまったく何も知らなかった人間であり、ウミガメの調査を開始して1ヶ月程度で、アオウミガメの産卵を発見した、運の良い男であったからである。それまで、私はもっぱらニホンザルの行動を研究していたのであった。

3) 発生

卵から孵化までの発生に関する資料は手元には無い。たぶんアカウミガメの場合と大同小異であろうと、お茶を濁すことにする。もちろん今後とも資料を入手するための努力を続けてゆこうと思う。

・地温と性の決定

ウミガメは砂中の温度が変化すると、雌雄の比が変動する。低温の場合はオスが多くなる傾向を示す。このように温度によって性が決まるのはワニとカメの中間が知られている。

アオウミガメはアカウミガメ同様、地温が性比に影響を与え、地温が27℃以下で孵化させるとすべてが雄として生まれ、2729 ℃では、雌雄の比はほぼ1:1であるが、29℃以上で孵化させるとすべてが雌となる。アカウミガメの場合、地温が29℃以下で孵化させるとオスの割合が多くなる。

4) 生態

 ライフサイクルについては、まだまだ不明の部分が多い。しかし世界で最も調査研究がなされているのもアオウミガメである。その理由は、ヨーロッパ人がこのカメのスープを好んで食べたためである。アオウミガメは草食性の動物のため、肉に臭みがないこと、船乗りが生きた食料として調達したことなどによると思われる。ハ虫類は良く飢えに耐えるが、アオウミガメも1ヶ月程度の絶食に耐えるようである。

そこで、船乗りは、アオウミガメを捕まえると、甲板にあお向けにして放置しておいた。1ヶ月間餌をやらずに、新鮮な肉を手に入れることができたわけである。新鮮な肉を食べている限り、ビタミンC不足にもならず、壊血病にならないで済むわけだから、まことに重宝な食料であった。

ここでは、日本における雌の上陸産卵、孵化の様子を主に述べてみたい。ここに上げた資料は、屋久島で筆者が観察した結果(1976年、1978年、1981年)と、小笠原、沖縄のこれまでの研究者の成果を元にしている。

(1)上陸産卵

・上陸

 アオウミガメは、アカウミガメ同様夜間に上陸してくる。最近の発信機を着けた調査によると、産卵時期のアオウミガメは、早朝や夕方に浜の近くを回遊する個体がいることが分かった。

屋久島では、アカウミガメとアオウミガメの2種が同じ浜に上陸し産卵している。屋久島におけるアオウミガメの上陸個体数は多くは無いので、はっきりしたことはいえないが、アオウミガメの初上陸はアカウミガメより1ヶ月以上遅いようである。

・上陸距離

 ウミガメが上陸してから産卵穴を掘るまでの距離について、1981年に屋久島で調べた結果を、千葉県生物学会誌に発表したことは先に述べた。アオウミガメの部分の主な内容を以下に述べる。

①アオウミガメについて、調査期間中上陸が確認された個体は、アカウミガメが99頭であったのに対し、アオウミガメは11頭にすぎなかった。

②そのうち産卵した個体(産卵のために穴を掘った個体を含む)は6頭で、その6頭を対象に産卵上陸距離を測定したところ、その距離は最短27.2m、最長174.5m、平均距離は73.0mであった。

③この調査結果から、アオウミガメの上陸距離はアカウミガメの1.8倍以上あったが、それは、アオウミガメがアカウミガメに比べて、甲長、甲幅も一般にやや大きいことと、筋力が強いためと思われた。

・産卵

 アオウミガメはアカウミガメ同様、日本では初夏の期間に上陸し産卵する。沖縄では6月から8月、屋久島では5月下旬から8月、小笠原では、4月から8月までがおよその産卵期間である。1頭のウミガメは1産卵期間(シーズン)に3~5回程度上陸産卵することが知られている。第1回目の産卵から第2回目の産卵までの期間は15日程度である。第2回目から第3回目までの間も約15日程度である。アオウミガメは1回に100個程度の卵を生む。アカウミガメの項で述べたように、産卵は非常な重労働である。

 小笠原では、アオウミガメの孵化放流事業は明治から始まっており、アオウミガメが1シーズンに数回の産卵をすることは、古くから知られていた。1970年から小笠原水産センター所長をされていた(1994年まで?)倉田洋二先生は、同じ頃にアオウミガメの産卵回数の詳細調査を実施されている。小笠原におけるアオウミガメの産卵期間は、4月から8月にかけてであるが、上陸頭数は次第に増えてゆく。上陸頭数のピークは7月中旬で日本のアカウミガメのピークより2週間遅い。5月中旬に産卵された卵は、2カ月程度で孵化が始まる。

 小笠原のアオウミガメの産卵回数は2回から7回で、3回から4回が普通のようである。この回数調査は、捕獲したウミガメをいけすに飼育し、いけすに付属させた小さな砂浜に上陸産卵する数を調べたものであるため、やや自然状態と条件が違う。なぜならば、ウミガメは、砂浜の砂がやや引き締まって、垂直に近い穴を掘っても崩れないような条件の浜で産卵しているが、小笠原・海洋センターに設けられた人工産卵場所(砂浜)は、狭く、いけすから上陸してきたウミガメは、一度でうまく産卵穴を掘れることは少なく、2回、3回と穴を掘ったあとで産卵することが、多々あったからである。産卵中に穴が崩れることも時々起こるのであった。このような状況が産卵回数に何らかの影響を与えているような感じがした。

天然の産卵状況調査では、1982年の例では、父島列島の20の海岸で産卵が確認され、産卵巣数は108ヶ所で、1回の産卵数は63173個、平均108個であった。1998年から1999年には24の海岸で産卵が確認され、600巣以上となり、増加傾向を示している。

 さて、以下に、私が初めて屋久島でアオウミガメを観察したときの印象を抜粋してみよう。

1976年6月25日、A.M.(午前)3時頃、アオウミガメが産卵のため上陸中であった。このカメがアカウミガメと違っている点は、甲板の数が全部で13(肋甲板が4対)で、頭部はアカウミガメより小さく、後足(ヒレ状)は丸い感じであることであった。甲板の色は青っぽい褐色をしており、体が大きいのでよけいに頭が小さく感じられた。

また、アオウミガメの甲羅はすべすべしており、フジツボや海藻類の付着は見られなかった。アカウミガメでは、多くのカメ(9割程度)に1つ又は多数のフジツボが着生している。藻類も生育し、その間には小さい節足動物も見られる。エボシガイが着生していることもある。アオウミガメは、アカウミガメより外洋性で泳ぐ力も強いのかもしれない。アカウミガメの場合は、海中生活で動きの鈍い時期があるのだろうか。

 アオウミガメの産卵穴の場所は、広く深く掘られ、まるでブルドーザーで砂を押しのけたような感じであった。卵はアカウミガメよりやや大きく、47mmあった。アオウミガメは、6月22日、7月2日にも上陸した。

(2)孵化

 孵化日数については、屋久島の例を述べる。1976815日に産卵した卵は、75日後の1029日に孵化した。197879日に産卵した卵数は118個であったが、51日後の91日に孵化した。このときの孵化率は90%であり、屋久島の浜は、アオウミガメの孵化に不利ではないらしいことがわかる。

 孵化の時刻は、アカウミガメ同様夜間と推定された。屋久島での1029日の観察例では以下のようであった。

「子ガメの足跡をたどって産卵穴を探ってみるとアオウミガメの子が多数じっとしていたのが見つかった。これが午後の4時ごろで、午後7時に再度見に行ったときには、もはや全て海に行ってしまった後であった。たそがれ時に海に向かったと推定された。この時間の潮は、干潮であった。」

・積算温度

  不明であるがアカウミガメと同じ程度と思われる。同じとした場合に問題になるのは産卵穴の深さで、アカウミガメの産卵の深さ約50cmよりも深いため、地温が少し低くなる。よって孵化までの日数はアカウミガメの場合より多くなると推定される。

(3)成長

 屋久島に産卵したアオウミガメの孵化時の子ガメの大きさについて、1978年に調べた20例の平均甲長と甲幅は、5.0cm4.1cmであった。姫路水族館での飼育例では、16ヵ月後には甲長26.9cm、体重2.8kg4年では40.1cm9.65kgに成長している。このアオウミガメは、たぶん私が姫路水族館に寄贈した30匹の子ガメの成長のデータである。

 日本の伊豆七島、九州、沖縄の沿岸で、3才程度のアオウミガメの幼体が見られ、アサヒガメと称されていることがある。小笠原でも、非繁殖シーズンに3才程度のアオウミガメ幼体が観察され、これはウエントルと称されている。小笠原産の小ガメは、1年の浮遊生活の早い頃からふるさとへ回帰するようである。

沖縄県水産課の調査によると、沖縄島北部の定置網に捕獲されたアオウミガメ107個体を調べた結果、直甲長が1045cm7075cm2つの山があるそうである。このことから、沖縄海域はアオウミガメの生育海域であると推定できる。

甲長が70cmを超えると成熟するようである。飼育時の成長の様子から成熟までの年数を割り出すと、成熟体型に達する年数は短い。海外では、飼育下で8~9年で交尾し産卵した例が知られている。一般には20年から30年程度と推定されている。

(4)回遊

沖縄では、親ガメが産卵以後、その近海を去ってしまうことは、漁師に知られていた。スキューバダイビングが盛んになるにつれ、冬の海に潜る人も増えたため、次第にウミガメの四季の生息状況が明らかになってきている。そして、九州の近海や紀州の沿岸にアオウミガメの成体や亜成体が見られることも明らかになってきた。紀州の元海賊の住処とされる洞窟の海に出現したウミガメの写真は、明らかにアオウミガメのものであった。みなさんは、現地でその写真を見ることができる。屋久島近海でも、アサヒガメと呼ばれる甲長30cm40cmのウミガメが見られるが、それはアオウミガメの亜成体であった。

 小笠原においても、親ガメが産卵終了以後、小笠原近海を去ってしまい、いなくなることは、漁師に知られていた。小笠原にみられなくなったアオウミガメが、九州の近海や紀州の沿岸に見られることも明らかになってきた。 

 甲長30cm40cmのアオウミガメの亜成体が、冬にも小笠原近海で見られることは先に述べたが、漁師達はそれを「ウエントル」と呼んでおり、ウインタータートルの詰まった言い方だとされている。

 1974年に、三重県伊勢の五ヶ所湾にて、地引網にアオウミガメが掛かった例があった。7月中旬のことで、甲長87cm、甲幅70cm程度で、抱卵数は150個ぐらい、成熟卵の直径は4.5cmというものである。

 アオウミガメの幼体が、日本海側で保護される例が幾つか知られている。例えば、19971月に石川県珠洲市狼煙(のろし)漁協に保護されたアオウミガメは、甲長25cmであった。

・標識調査の結果

 標識調査は、長期にわたり続けられてきた。それによって、いくつかの重要な成果が明らかにされた。

・衛星を使った調査

 社団法人の日本水産資源保護協会は、私も数年お手伝いしたことがあるが、そこの事業の一つに水産庁委託事業「海亀類保存調査」が平成6年から5年間実施された。

小笠原から追跡したアオウミガメは、紀伊半島付近、日向灘(大分県南部)、鹿児島県屋久島の北部に移動した例が報告された。いずれの個体も1,000km以上を移動しており、その移動速度は0.41.8km/h程度であった。そのうちの1頭は1995815日から822日の間に658kmを移動し、その間の平均時速は3.48km/hを示した。また、その個体の814日~15日の25時間余りの平均時速は6.08km/hであった。

アオウミガメは、南西から北東に流れる暖流を横断するようにほぼ同じ方向に移動をしている。カメのそれぞれは、自分の行くべき目的地があり、その方向に最短距離を移動しているように見える。渡り鳥のように、繁殖の場所と採餌海域とを移動しているようである。

(5)アオウミガメの利用

 アオウミガメは草食(海草・海藻食)なので、肉に臭みがなく、上等の肉を提供してくれる。うまく維持管理をすれば、魚や鯨同様、海が牧場となり、継続して食用に利用することも可能である。

ウミガメ漁は、主に食用となるアオウミガメ及び装飾品の原料となるタイマイで行われてきた。アオウミガメの場合は肉が目的であるので、甲羅に銛を打ち込んで捕えるのが一般的である。番でいる場合は、メスを先に捕えるとオスは逃げずにメスを探し回るため、そのオスも捕えることができるという。砂浜で産卵に上陸したウミガメを捕まえるのは、一人では難しい。アオウミガメは、体重が100kg前後あるからである。私も2回ほど1人でアオウミガメを捕まえたことがある。もし砂浜でウミガメを見つけた場合に一人でそれを捕まえるには、それなりの腕力とコツが必要となる。何しろひっくり返せばよいのではあるが。

ヨーロッパ人は古くよりこのカメのスープを好んで食べてきた。草食性の動物のため、肉に臭みがないためであり、船乗りが生きた食料として調達したことは先に記した。

日本でこのアオウミガメの肉を使ったスープを出すレストランがある。有楽町にあるフランス料理の店「アピシウス」である。かつて私は、レストンにウミガメの肉を供給するため、アオウミガメを数十頭解体した経験をもっている。その時に感じたのは、ウミガメの生命力である。

頚動脈を切って、全身の血を抜き取ってから解体を始めるのであるが、切り取られた首がうごめくのを見ては、人によってその感じ方は様々であろう。包丁を持ったまま飛んでどこかに逃げてしまった男性もいた。吐きそうになったという男性もいた。このようなブッチャー(肉切りや)の仕事は、かつては、エタ、ヒニンの仕事であったという。中国では牛の解体の手腕を見込まれて出世した人もいるが、私としては、やはり一生の仕事にはしたくない思いであった。その後、マガモやハトを1000羽以上も牧場で殺しているから、前世はエタ、ヒニンの類で生計を立てていたのかもしれない。

 いずれにしろウミガメのスープはそれなりにおいしいのだが、内臓も入れ、はぎれの肉などを混ぜ込んだ煮込みが、やはり庶民的なウミガメ料理らしいと感じている。

3-3、タイマイの分布と生態

1)タイマイの特徴

 タイマイは、鼈甲細工に利用されるウミガメで、ベッコウガメとも呼ばれる。「大枚千両」などという言葉は、大枚とベッコウガメの別名のタイマイで作った細工物が非常に高価であった歴史に由来するものと思われる。ウミガメのタイマイは、漢字では玳瑁・瑁などと書かれる。中国語では玳瑁はスッポンのことを意味するらしい。

背中の甲羅は、亜成体及び若い成体では瓦状に重なっているが、成熟するとタイルをはめ込まれた状態になり、アオウミガメと同様になる。くちばしの形が鷹のようにとがっており、それ故に英語ではHawksbill Turtle(鷹にくちばしをしたカメ)と呼ばれている。

ウミガメ類は泳ぐのに適したヒレ状の前足をしているが、発達の程度は、アオウミガメと同じ程度で、アカウミガメより発達している。ヒレに爪が2ヶ所見られるのはタイマイかアカウミガメである。

 頭は、大きなウロコをはめ込まれた形をしているのは、他のウミガメと同様であるが、ひたいにあるウロコは、ヒメウミガメと同様2対(4枚)である。

 歯は、鷹のくちばしのようによく発達しているので、噛み裂くのに適していると推定される。サンゴ類(ソフトコーラル)、カイメン類を主な餌としており、甲殻類等も食べると推定される。遊泳力はあるが、ウミガメの中では最も大きさが小さい。熱帯、亜熱帯の沿岸域に生息しているとされ、大きな回遊はしないようである。

 甲らの大きさはおよそ甲長70cm、甲幅60cm程度の楕円形で前方が膨らみ、後方はややとがっているが、アカウミガメよりは円みを帯びている。甲羅の中央の列は亀甲模様をしているが、若い固体では甲羅が瓦状に重なり合っている。タイマイの背甲の枚数は肋甲板4対、椎甲板5枚、計13枚であり、アオウミガメと配列は同じである。基本的に甲板枚数は13枚に決まっている。縁甲板は縁の部分がとがっており、また、甲羅は瓦状に重なっているが、老成するとこの重なりは無くなり、アオウミガメの甲羅に似てくる。

 

2)分布

 生息域は、亜熱帯地域から熱帯にかけての地域である。ウミガメ類の中では、産卵地が最も南に分布する。日本では、アオウミガメと同様の暖かい海域であるが、北限地はアオウミガメの北限より南である。

 日本での産卵場は、沖縄諸島以南で、今のところ北限は沖縄本島と考えられている。八重山群島(西表、石垣島とその周辺)での産卵は知られているが、宮古島付近では知られていない。上陸頭数は少なく、黒島では19962000年の5年間に23頭が上陸しうち10頭が産卵している程度である。2000年に上陸産卵した個体の1回目の産卵数は229個、2回目が242個と、非常に多かった。一般には、アオウミガメの産卵地にはタイマイの産卵が行われていることが多いが、小笠原諸島では、産卵は知られていない。海洋島では産卵しないのかも知れない。沖縄諸島の座間味島、安室島にも産卵する。

 産卵地北限の沖縄よりはるかに北の本州近海でタイマイが捕獲されることもあるが、日本海側では、捕獲、保護される時期は、冬が多いようである(成長の項を参照)。和歌山県串本の例では、タイマイは8月及び1012月に多く捕獲され、23月は少ない。水温の低い23月は、他の海域に去るのであろう。

3)発生

特に日本での研究例は知られていないようである。

・地温と性の決定:調査中。

アカウミガメの場合、地温が27℃以下で孵化させるとすべてが雄として生まれ、2729 ℃では、雌雄の比はほぼ1:1であるが、29℃以上で孵化させるとすべてが雌となる。

アオウミガメの場合も、同様の傾向を示す。タイマイについては、どうであろうか。

・孵化までに要する積算温度ついての報告:調査中

) 生態

 日本での産卵状況、産卵行動についてはまだまだ不明の部分が多い。ここでは、雌の上陸産卵、孵化の様子を主に述べてみたい。ここに上げた資料は、これまでの他の研究者の成果をまとめたものである。

(1)上陸産卵

・上陸

 沖縄県黒島においては、12年間の状況をまとめると、タイマイの産卵シーズンは長く、3月下旬から10月中旬であるが、多くは5月から7月にかけて産卵するようである。アカウミガメが4月中旬から7月中旬にかけて、アオウミガメが8月中旬から10月中旬にかけてであったことから、タイマイの産卵シーズンは、アカウミガメと同じ時期である。

・上陸距離

 上陸距離についてのまとまったデータはない。

 沖縄本島属島の水納島で、防風林内に産卵した例では、満潮線から30m程度のところであった。黒島の例では、アカウミガメより陸側の奥深いところまで行って産卵する傾向があるという。

・産卵

卵は、水納島の例では、137個、卵の大きさは3.6cmで、アカウミガメ(4cm)より小さい。巣穴の深さも30cmで、アカウミガメの50cm程度より浅かった。宮脇氏の報告では産卵数は96152個、平均122個であった。

産卵回数については、9個体の平均で2.3回という数値を出している。2~3回産卵するのが普通のようである。日本では調査例が無い。

 

(2)孵化

 自然状態における孵化日数は5077日との報告がやはり宮脇氏から出されている。孵化率は、知られていない。孵化幼体は流れ藻とともに漂流しているものと考えられる。

(3)成長

 沖縄県北部の安和海岸で孵化したタイマイは、入手時の直甲長38mm、体重13.3gであったが、1ヵ月後には50mm22.5g5ヵ月後には95mm128gに生長した。1ヶ月目の頃から背甲版が瓦状に重なり合い、3ヶ月目頃から、黒い腹甲が黄色に変化したものが出始めたという。また、5ヶ月で、背甲は完全に重なり、模様も現れ始めたそうである(照屋氏)

 日本では、亀崎氏によると、甲長が29cm以上の個体が八重山諸島で捕獲されるが、4446cmの個体の割合が多かったことを報告した。沖縄周辺は採餌場となっていると推定され、アカウミガメと違って採餌場と産卵場が接近しているようである。甲長70cm以上になると産卵を開始するようであるが、その大きさに至る年数は不明である。飼育下で、4年で50cm程度に達した例が報告されているので、少なくとも8年程度は必要と思われる。

・漂着個体のデータ

 産卵地北限の沖縄よりはるかに北の本州近海でタイマイが捕獲されることがある。幾つか例をあげる。日本海側で、冬季に捕獲、保護された例である。

     1956115日、鳥取県東伯郡の逢坂海岸にて波打ち際で採集。甲長42cm、甲幅30cm

     195624日、鳥取県岩美郡の裏富海岸で生きたタイマイを捕獲。甲長32cm、甲幅27cm、体重3.6kg

     195227日、石川県小松市の安宅海岸で半死状態のタイマイ、地引網にて捕獲された。この例では、背甲に海藻(ウシケノリ、アキツノリ、ヒゲモグサ)が繁茂しており、胃内容物には貝殻片と原型不明の魚2匹が見られた。甲長24cm、甲幅19cm、体重2.6kgであった。

(4)回遊

 標識調査は殆どやられていない。今後の成果に期待したい。

(つづく)

2010年5月24日 (月)

ウミガメのはなし、あれこれ

2章 ウミガメ類の分類と形態

 この章ではざっとカメに付いて述べ、本題であるウミガメについて、主に日本に産卵する3種のウミガメについて詳しく述べることにする。

1)カメの分類

 世界の現生カメ類(分類単位はカメ目:もく)は、大きく分けて1375244種がいるとされる。13科のうち2科が曲頚(きょくけい)亜目(ヘビクビガメ、ヨコクビガメ)で、残り11科が潜頚(せんけい)亜目である。ウミガメ類は、潜頚亜目の仲間であるが、実際にはどのウミガメも首を甲羅の中に引っ込めることはできないから、別な名称が用いられても良いと思われる。ウミガメは世界に2科6属8種が現存するが、かつては多くの種類(属)が出現しては消えていったことについては、先に触れておいた。

中世代のアルケロン(古代のカメの意味)は全長が4mもあったので、推定体重は2,000kg程度であったとされる。そのころの生き物には、巨大なものも多かった。陸上で巨大化すれば、足の面積は、相対的により巨大化するので、運動能力は低下すると思われた。たぶん当時は、ゾウガメに似た巨大リクガメが広く分布したと思われるが、大きくなるに従って移動能力は劣っていったと思われる。

そして、それら巨大化したリクガメの一部が、海中に入ってウミガメ化した可能性がある。これは、アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイなどにおける進化のあり方のように思われる。ハ虫類、獣類は、他のすべての生き物と同様に水中では浮力を受けるため、その分が軽くなる。それゆえに、海中に適応したハ虫類、哺乳類は、大型化する傾向がある。ウミガメに進化してゆく筋道のもう一つの方法としては、まず水中生活に適応し、その後海に進出し大型化してウミガメ化してゆく方向が考えられる。淡水産カメのなかに、殆ど陸上に上がらず、水中生活に適応したスッポンの仲間がいる。

スッポンは、他の多くのカメと違って背甲が瓦状にはなっておらず、革のようになっている。そして体重、体長ともに大きくなるものが多い。ハ虫類は、成熟後も成長を続けるものが多く、スッポンは、他のリクガメ類より成長し易いのかもしれないスッポンのような水中生活適応型のカメが海に進出したのがオサガメではなかろうか。オサガメの背は革状で、背甲の形は縦長になっており、紡錘型に近い形をしている。前足の形は長いオールのようであり遊泳力があり、遊泳速度もウミガメ類中最も早いといわれている。

分かりやすい分類は、リクガメ、ウミガメ、タンスイ(淡水)ガメ、スッポンの4つの仲間に分ける方法であろうか。この分類によると、日本にはリクガメは分布していない。また、ヘビクビガメやヨコクビガメのような曲頸亜目に属するカメも生息していない。カメの分類表(1)を参照されたい。 

2)ウミガメの種類

 現在、世界に生息するウミガメは、下記の8種類である。

 ①アカウミガメ Caretta carett

 ②アオウミガメ Chelonia mydas

 ③タイマイ Eretmochelys imbricata

 ④ヒメウミガメ(タイヘイヨウヒメウミガメ) Lepidochelys olivacea

 ⑤オサガメ  Dermochelys coriacea

 ⑥ケンプヒメウミガメ(タイセイヨウヒメウミガメ) Lepidochelys kempi(kempii) 

 ⑦ヒラタウミガメ(ヒラタアオウミガメ) 

        Natator depressus(Chelonia 

depressa)

 ⑧クロウミガメ Chelonia agasii(aggassizii)

 以上、ウミガメの日本名(和名)と学名を記したが、生き物の和名及び学名が2種類またはそれ以上あって混乱することがある。カール・リンネ(17071778)が二名法を創出してから、混乱はだいぶ減ったが、まだまだどれが正式名称であるのかは、専門家以外には良く分からない現状が続いている。徳川家の家康と豊臣家の秀吉が、源氏から別れて独立したのか、全く別の家系であるのかが分からないために、新田家康や新田秀吉こそ正しい名前であるとする人や、家康は足利家に入れたらどうかなどと言う議論を、科学の世界では際限なく続けているようである。

私がウミガメを調査した1975年頃は、図鑑を見るとアカウミガメの項にはヒメウミガメの図が載っており、アカウミガメの解説がなされていたほど、いいかげんな部分があった。それで、当時、専門家でもなかった私は、アカウミガメの背中の甲羅の枚数が分からなかった。三年間屋久島で毎日アカウミガメの調査を行ってきて、アカウミガメの甲羅の数が分からないとは何事かと、お叱りを受けたこともあった。しかしそれは、私のような、生態学的又は行動学的調査を行ってきたものには、見えにくい部分でもあったのである。私を叱った人たちが、実際のウミガメ調査を一度もやったことが無く、またウミガメの調査をした人たちから情報を得た人たちでなかったことだけが、私には明確に知れたのであった。私を叱った人たちは、その当時の有名な生物学者であったことは、私に様々なことを考えさせてくれた。私を叱った生物学者は、水族館のウミガメしか見たことがなく、ウミガメの甲羅の数は、ウミガメの産卵行動を毎晩観察している者に分からないはずが無いと考えたのも無理はなかった。まだまだウミガメの研究は、日本では始まったばかりであったからである。

それでは、私はなぜウミガメの甲羅の数を知らなかったのであろうか。そして、大図鑑に載っているウミガメの図を信じて、その図を引用していたのであろうか。それは、図鑑を信用していた事が、第一であった。岡田要氏編集の動物大辞典は、当時最も多くの生物を網羅した図鑑であった。第二点は、私の調査が主に夜間の産卵行動であった事によるであろう。種名はアカウミガメと分かっており、甲羅の数をそれぞれの個体についてチェックする必要を感じていなかったのである。第三の理由は、上陸してくるウミガメの背は、殆どのものがびっしりと海藻で覆われており、緑の絨毯の様になっていたためである。この海藻は、小宇宙を形成しており、その海藻の間にヨコエビやワレカラが住んでおり、カメフジツボが岩場に張り付くように、背甲の上で固着生活を送っているのであった。これらの生物の生活圏を剥ぎ取って、破壊して、その下にある岩盤(背甲)の枚数を数える事に、どれだけの意義があったであろう。ゆくゆくは、その背甲という狭い生活圏の内容を調べたいと欲していた希望の方が強かったので、あえて甲羅に生えた海藻のジュータンを剥ぎ取ろうとは思わなかった訳である。そんな訳で、岡田要編著の図鑑における甲羅の図を頭から信じていたわけである。ここで、やっと私の言い訳を表明できた。うれしい事である。

さて、アカウミガメやアオウミガメの孵化した子ガメは、甲羅の枚数が決まっているのには注目していた。また、アオウミガメの場合には親になっても甲羅の枚数が同じ事は、実際に見て知っていた事は確かである。それで、権威ある生物学者から指摘を受けたときに、少し詳しく調べた結果、アカウミガメも親と子の甲羅の枚数が一緒である事を知る事ができた。

私のような、ドジな生物研究者は、背中の甲羅に興味を持たなかったわけだが、別な場所でウミガメを保護しておられた方は、へらでウミガメの甲羅をきれいにしておられた。私の見た、ウミガメの背中の小宇宙は、あっという間にきれいになった。美容院に行ってきれいさっぱりしてきた感じか、お風呂で背中の垢を洗い流した感じがした。そして、これも悪くはないなという印象を受けたのであった。この、アカウミガメの背中に生えた海藻生態系は、そのままにしておくべきか、甲羅を海藻の繁茂から守るべきか、そのうち論争が起きるかもしれない。

因みに、アオウミガメの背甲は海藻で被われることは殆ど無い。体力の衰えたアオウミガメや、屋外の狭いプールで飼育している場合に海藻が生えることがあるが。

3)ウミガメの一般形態と特徴

 簡単にウミガメ類の特徴を述べると、以下のようなものである。

 ウミガメ類は先に述べたように潜頚亜目に分類されるが、どの種も頭、四肢を体の中に隠すことができない。前足はオール状に変形し、遊泳に適している。雌は特定の砂浜または特定の地域の砂浜に、1年置きまたは2年置き程度の間隔で上陸し産卵するようである。亜熱帯から熱帯に分布し、繁殖期および非繁殖期では生息場所が違うらしい。

種及び種群によって遊泳海域が異なり、大回遊をする種もある。鳴き声を出さない。鼻はスポンジ状をしており、柔らかく、犬の鼻に似ている。顔中がはめ込まれた瓦のような大きなウロコでおおわれている中で、鼻だけが、ほ乳類の鼻を思わせる柔らかさを保っているのは、それなりの理由があると思われる。たぶんこの鼻は、塩分濃度の感知による海域の俊別、水温、潮流変化、付近の海域に存在する他のウミガメを知るのに役立っているのではなかろうか。マイワシの抽出液(出し汁)にアカウミガメが強く誘引された実験があった。夜間の餌への接近も匂いによっているらしい。脳髄の外部形態からもかなり優れた嗅覚を有しているとされる。タンスイ(淡水)ガメの仲間も泣き声を出さないが、リクガメの仲間に例外がある。アルダブラゾウガメは体重が200kg以上になるが、交尾の際に吠えるといわれる。

 ウミガメは肺で呼吸するのであるが、海から上陸して、空気が目の前すべてを覆っている陸上を歩くときも、息を吐き、大きく息を吸って止め、1歩、2歩、3歩と数秒間歩き、立ち止まって、ブオーと息を吐き出す。そしてまた息を大きく吸って止め、歩き出すのである。もはや自然な呼吸は大昔に忘れ去ってしまったようだ。砂浜に穴を掘って卵を産むときもそうだし、穴を埋めるときもそうだ。重量挙げの選手のように、大きく息を吸って、止めて、仕事をして、大きく息を吐き出す。何という融通の利かない呼吸法であろうか。しかし、一度海の中に入ってしまえば、どんな大時化(しけ)の時でも、それが何日続こうとも溺れたりはしない。アクアラングを背負った我々でも、ウミガメほど海で自由ではない。

 ウミガメのオスは、陸上に上がる事はほとんど無い。アカウミガメについては、陸上に上がる行動はこれまで知られていないが、アオウミガメにおいては、浜及び磯に上陸しじっとしているのが観察されている。日光浴と考えられているが、その目的は定かではない。

  ウミガメは涙を流す。いつもいつも泣いているのだが、海の中ではわからない。陸に上がってくると、目から涙を流しているのがわかる。人間は、ふつうは悲しいときに涙を大量に流す。ウミガメは、陸(オカ)に上がっても涙を流すのを止められないのだ。なんと悲しい動物であろうか。息を止めなければ、1歩も前進することができず、穴も掘れず、涙も止められない動物、これが、ウミガメの大きな特徴だ。動物は、みな、ある種の思いこみを背負って生活しているようだ。それは本能と呼ばれるものに近いが、若いうちに形作られた習慣かも知れない。ウミガメの祖先が、陸上生活をしていたときには、きっといちいち呼吸を止めて活動していた訳ではなかったであろう。その必要がなかったからだ。

 ウミガメの流す涙は、実は塩分濃度の濃い液体であることが知られている。このような装置は、ウミヘビの場合は舌の下側に発達している。ウミガメのように目に脱塩装置を持つ生き物としては、ガラパゴスに住むイグアナAmblyrhynchus cristatus が知られている。

 ウミガメの耳はどれほど音が聞こえるのか。この問題は、まだ良く分かっていない。自ら声を発しない動物と思われるので、鳥や鯨のように音声でコミュニケーションを図っているとは思われない。ウミガメの聴覚器官は内耳のみであるが、聴神経は太いので音を知覚していると考えられる。ウミガメを誘引するような音は、これまでのところ知られていない。たぶん、陸上では、音に対する感度は一段と低くなっているのではないかと推定される。上陸産卵してくるウミガメは、光と匂いには敏感なように思う。光に関しては、上陸時には、負の走光性を持ち、産卵後は政の走光性を持っている。それゆえ、海に帰ってゆきつつあるウミガメを陸側に誘導することができる。

 

ウミガメの脳は小さい。体重114kgのアオウミガメで8.6g程度であるそうだ。変温動物のハ虫類には大きな脳が必要ないようである。恒温動物は、鳥でも獣でも脳はハ虫類に比べて非常に大きい。

オオカミに育てられた少年は、たとえ天才の両親から産まれた子供であっても、ちゃんと言語をしゃべれるようになるとは限らない。むしろしゃべれないままであることが多いであろう。これは、人間がウミガメと違って、本能的な行動から自由であるために、幼少の頃は常に向上し続けなければ、一人前の人間に育たないことを示しているようだ。本能から自由であるということは、その分だけ努力をしないと、その時代を生き抜く基礎情報、知識、経験を得られないようになっているらしい。

4)ウミガメの成長

 ウミガメの性成熟年数は種によって違いがあるが、種内でも非常に大きなばらつきがあることが解ってきている。その原因は餌の質と量に関係するようである。また、質の悪い餌、少ない量の餌でも生き続ける強靭な生命力のせいでもあろう。

5)産卵

 メスが1回に産卵する卵の数は、種によって、また同じ種でも、大きさや体調によって変化するようである。普通は60個から120個程度である。1頭の産卵する回数は、1シーズンに2回から5回程度と推定されている。産卵に要する時間は2時間から5時間。産卵間隔は1年おきから3年おきだが、5年程度間隔が開く場合もある。卵は丸く革質で直径は40mm50mm程度、重さは20gから45g程度である。

 産卵の方法も、ほぼどのカメも似たパターンを示し、浜へ上陸し、満潮線より高いところまで移動し、まず表面の乾いたやわらかい砂を取り除き、後ろ足を使って産卵穴を掘る。卵は1個から2個ずつ、多いときには4個から5個が一度に産み落とされる。産卵を終えると後足を使って埋め戻し、前足と後足の両方を使ってカモフラージュをする。ウミガメは、自分の卵がどういう状態で産み落とされ、埋められるかを自分で見ることはない。卵泥棒は、産卵中のウミガメの背後に回って、産卵中に次々と卵を掘り取ってゆく。卵を盗まれ空っぽにされた産卵穴を、丁寧に埋めてゆく親亀を見ると、一種のペーソスを感じる方は多いことであろう。産卵時の一連の行動については、アカウミガメの「分布と生態」の所で少し詳しく述べたので、参照されたい。

 やや古いテレビ番組に「南の島のフローネ」という番組があった。1990年ごろであったろうか。この物語の中で、ウミガメが産卵にくるシーンが出てきたのだが、そのとき、驚いたことにウミガメは前足で穴を掘って卵を産んでいた。この母ガメは、自分の産んだ卵を見ながら穴を埋めたかどうかまでは、記憶していないが、どうだったであろうか。いずれにしろ、その当時は、ウミガメは前足で穴を掘っても不思議でないと思われていたらしいし、今日でも多くの人にはそう思われているのかもしれない。

 孵化にかかる日数は2ヶ月程度であるが、地温が高いと孵化日数は短くなる。また、地温によって孵化個体の性比が変化し、温度が高い場合はメスが多く生まれる。

 産卵から孵化までの間の最も大きな敵は、人間による盗掘である。犬、猫、キツネ、タヌキなどの天敵による被害もある。卵は、嵐などによる冠水で窒息する場合があり、または砂の流出に伴って卵が流失することも、小さな浜ではたびたび起こる。 多数のウミガメが産卵する浜では、後から来たウミガメによって先に産まれた卵が多く破壊されることもある。最近のように子ガメの放流会が催されると、孵化しつつあるウミガメの産卵穴を踏み抜いてしまい、子ガメを圧死させることもある。砂浜を我が物顔に走り回る4WD車のタイヤも、産卵穴を踏み潰す恐れがある。

 孵化した子ガメは主に夜間に穴から脱出し、一目散に海を目指す。全ての子ガメが脱出するのに3から7日を要する。取り残された子ガメは脱出できずに死亡する場合もある。

子ガメの天敵は、犬や猫などの哺乳類のほかにスナガニ、カモメ、アジサシなどがおり、海の中ではサメやハタなどの魚が待ち構えていることもある。インドネシアでは野ブタの食害が問題になっている。

(つづく)

2010年4月21日 (水)

了源寺の亀石(千葉県船橋市)

● 了源寺の亀石

千葉県船橋市宮本7丁目、入場無料。423日に、我が家からそれほど遠くない了源寺の亀石を見学してきた。

(感想)

・このお寺は、浄土真宗本願寺派のお寺だそうで、阿弥陀仏を拝んでいる。

当日は婦人会の集まりが会ったようで、本堂からはミサに似た読経の声が聞こえてきた。親鸞聖人の銅像が本堂右に建てられている。

浄土真宗を詳しくは知らないが、「なんまいだーぶ」と唱え、阿弥陀仏に帰依すれば、天国に行けるという思想は、キリスト教に似ている。

 この宗教には、難行苦行の上に中道を悟った仏陀の教えは、完全に抜け落ちてしまっていると言ってよいであろう。要は、正統の仏教ではないということだ。とは言え、我が両親も浄土真宗だ。

・さて、亀石は、山門を入ってすぐの所、右側にありました。石がきれいなせいか、それほど古いものとは感じられませんでした。

  石亀(亀石)の特徴は、他の例に良くあるように、顔は犬のようで、耳がついています(に突き出た耳は無い)。リクガメを元にしたもので、尾は、毛があり、犬の尻尾のように跳ね上がっています。口には犬歯が彫られ、獰猛な感じで、お経を聞きにきた亀のイメージにはそぐわないものです()

この亀は、背中に石灯籠の「反花座」のような物を載せており、その上に丸石を載せています。丸石は「五輪塔」の水輪のようにも見えます。よって、この丸石の上には笠のようなものまたは「火輪」が載っていた可能性があります。

多分最初の姿は、この「反花座」と丸石を取除いた状態であったろうと思われます。余計なものを背負わされた亀が、何も言えずに我慢している姿に見えました。

鐘楼堂跡が市の指定文化財に指定されていますが、どれか判断できませんでしたが、本堂の海側には鐘楼が現在もあります。この鐘楼堂の鐘を撞く基準の和時計「自鳴鐘」が、あるようなのですが、これも見ませんでした。

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注:「昔、宝海という僧がいました。彼は、他の寺での勤めを終え、自分の生家である了源寺に隠居しました。宝海は朝夕阿弥陀さまにお経を唱えていました。そうすると寺の池から亀が現れ、お経を唱えている間中、一緒にじっといたといいます。宝海が亡くなると亀は消えてしまいました。その話を聞いた石彫家である才次郎良正が、石の亀を奉納したといいます(インターネットより入手)。」

 さて、この亀が棲んでいた池はどこにあったのかと思って探したのですが、特に池らしいものは境内には、見かけませんでした。多分小さな池が、付近にあったのでしょう。

End

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2010年4月18日 (日)

かめのはなし、あれこれ 2

3.日本のリクガメ(淡水ガメ)

 日本にいるリクガメ(リクガメ上科)は少なく、(ニホン)イシガメ、クサガメ、ミナミイシガメ、そしてヤエヤマイシガメ(ミナミイシガメの亜種)、セマルハコガメ、リュウキュウヤマガメ(以上がイシガメ科)、及びスッポン(スッポン科)の7種である。そのほかに、ミシシッピアカミミガメ(ヌマガメ科)という外来種が大繁殖している。

 最近は、カミツキガメが各地で見つかり話題になっているが、これをニホンに分布している亀に入れるかどうかは微妙なところ。悲しいことだが、10年後には帰化種として認定されていることであろう。カミツキガメの現在の分布は新潟、群馬、茨城以西の全国各地。千葉県印旛沼の周辺や東京上野の不忍池などで繁殖が確認された。

 おおよその大きさと分布は下の表にまとめたが、簡単な識別点や、生息場所について触れておきたい。

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3.1 ニホンイシガメ(イシガメ科イシガメ属)Japanese pond turtle

漢字では「日本石亀」と書く。大きな特徴は腹甲が黒いこと。これが、クサガメとの見分けの第1ポイント。背甲の中央に1本のキール(肋)があり、縁板は鈍いノコギリ状。これも判別のポイントだが成体では消失しているものが多い。背甲は黄褐色。幼体は首に不規則な黒いラインがある。幼体は尾が長く、背甲が丸く、色も明るい渇色で「銭亀」とよばれる。幼体には3本のキールが見られるが、成長すると消える。日本本土に棲む唯一の固有種のカメ。北海道には分布しない。

イシガメ科は、以前はヌマガメの仲間に分類され、バクダールガメ亜科に分類されていたが、現在はリクガメに近縁とされ、独立した科に分類されている。とはいえまだ多くの書籍でヌマガメ科と書かれている。

生態

 河川や池沼、水田などに棲む。平地よりも山間部周辺の河川や池沼及び水田など。清冽な水と豊かな自然環境を好むようだ。肉食性に近い雑食性。魚類、両生類、昆虫、ミミズ、水草等を食べる。秋から春にかけて交尾し6~8月頃に深さ約10cmの穴を掘り410個の卵を産む。卵は2-3ヶ月で孵化する。孵化幼体は甲長3.5㎝程で、尾が長い。

生 息地の減少で個体数は減少しており、地方自治体によっては環境省レッドデータブックに選定している。

3.2 クサガメ(イシガメ科クサガメ属)Reeve's pond turtle

臭亀、草亀とも。四肢の付け根の臭腺(しゅうせん)から臭い匂いを出すのでクサガメと呼ばれる。幼体を、イシガメやアカミミガメの幼体同様「銭ガメ」と称するようである。金銭ガメとも呼ばれるので、調べてみると出世魚のようにゼニガメキンセンガメクサガメと呼び方が変わるそうだ。ただし、これも正確なことはよく分からず、「中国や台湾の個体群は日本の個体群より大型化せず、成体になると背甲の甲板と甲板の境目(シーム)に黄色の線が見られ、「金線亀」として知られるが、現在のところ本種に亜種は認められていない。」とフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に載っている。金銭ガメは金線ガメであるらしい。在来種か移入種かについては結論が出ていないようだが、西日本の在来種が関東東北に移入されたとの意見もある。多数の書籍が日本在来種としている。

臭いについては驚いたときに出すとのこと。

生態

 平地の河川、池沼、水田などに生息。雑食性。13回産卵。6、7月頃に4~11個の卵を生む。卵は細長く、長径40mm、短径23mm程度。卵は2ヶ月くらいで孵化。雑食で魚類、両生類、水生昆虫、えび、かに、ミミズ、水草等を食べる。主に水中で獲物を捕食する。早朝や夕方によく活動する。冬季は河川の岸辺の横穴や、水の淀んだ池沼の深みなどの水中で冬眠する。1990年代に北海道で見つかっている。

3.3 スッポン(スッポン科キョクトウスッポン属)soft-shelled turtle

 漢字は一字で「鼈」と書く。甲羅が皮膚のようになっていることや、首が長いことが、他の亀との識別点。淡水産のカメで甲長約35センチ。水棲傾向が強く四肢には水掻きが発達している。背甲はほぼ円形で軟らかく甲板が退化した皮で覆われる。甲の色は暗青灰色。

 幼体の腹甲は赤味がかり黒い斑紋がある。成体になると腹甲は白やクリーム色になる。首が長く、吻(ふん)部は管状。噛みつく力が強く、防御のためによくかみつく。「雷が鳴っても離さない」というたとえがある。北海道を除く日本各地、朝鮮半島、中国、インドシナ北部の河川にすむ。食用。民間で薬用にする。どろがめ(泥亀)とも。

生態

 流れの緩い河川の中流域や大型の湖沼に生息している。ほぼ肉食性で様々な水生生物(貝類、昆虫類、カエル、魚類など)を食べる。交尾は4月~6月、産卵は6月上旬~8月下旬に直径1720mmくらいの球形の卵を825個、多いときには50個産卵。25℃恒温では6065日で孵化する。孵化幼体の甲長は25mm、体重23g4年で甲長16cm体重560g程度で成熟。養殖業者が多く、データの蓄積がある。

3.4 ヤエヤマセマルハコガメ(イシガメ科) yellow-margined box turtle

八重山背丸箱亀。胸甲板と腹甲板の間、つまり胸とおなかの間に「蝶番(ちょうつがい)」があって頭や脚を引っ込めたときに腹甲でふたをしてしまうことからハコガメ(箱ガメ)と呼ばれる。この特徴によって国内の他のすべてのカメ類と区別できる。甲はドーム状に盛り上がっており、これが「背丸」の由来のようである。背甲に3本のキール(隆条)がある。背甲の色は黒褐色または紫を帯びた暗褐色、頭部はオリーブ色から褐色で目の後ろに黄色の帯が入る。腹甲はほぼ全面が黒色ないし黒褐色であるが、胸甲板と前腹甲板には黄色の縁取りがある。国指定の天然記念物。

生態

森林やその周辺の湿地に生息。一般に自然度の高い広葉樹林の中や周縁部を主な生息場所とし、低湿地、沼沢地、河川などとの隣接部で個体数が多い。乾燥した二次林には少ないが、広葉樹林との隣接部ではイモ畑やパイナップル畑にも出没し、採餌や産卵の場所として利用しているようである。雑食性で地表の昆虫やミミズ、カタツムリなどを食べる。植物の葉なども食う。あまり、水には入らない。10月ころより交尾を始め、4月から6月にかけて産卵。雌は地面に深さ58cmの巣穴を掘り、長径4051mm、短径2427mm程度の卵を一度に13個産出する。卵は8月中・下旬に孵化する。

3.5 リュウキュウヤマガメ(イシガメ科オナガヤマガメ属)Okinawa black-breasted leaf turtle

琉球山亀。ニホンイシガメと並ぶ日本にしかいない(固有種)カメである。ほぼ陸生。国指定の天然記念物に指定されている。手足には水かきがあるものの、陸という環境に適応したため、前足のうろこは大きい。ややドーム状にもり上がった背甲には3本のキールがあり、後縁はのこぎり状。湿った場所を好み、渓流域に多く見られる。尾根近くでの活動はまれ。ヤマガメ属Geoemydaは、本種とスペングラーヤマガメとセレベスヤマガメ(仮称)の3種のみから成る希少な属で、両種は不連続的に分布している。動物地理学的にも重要であり、学術的な価値は高い。

生態

山地の森林の林床に生息。原生照葉樹林のみに棲んで、開発によって生じた裸地や二次林などには全く棲まないため、開発が進むにつれて生息地が狭まっていることが危惧されている。じめじめしたところを好むため渓流の近くに多く、泳ぎはうまいとはいえないが、暑いときは水に入ることもある。雑食性で昆虫やミミズ、カタツムリと植物質のものも食う。6月から8月にかけて細長い卵を4~6個産卵。

3.6 ミシシッピアカミミガメ(ヌマガメ科アカミミガメ属)Redeared slider

 赤耳亀で、英語の直訳のようだ。イシガメ、クサガメとの判別点も、この赤い耳であるが、固体によっては、色が褪せているものもある。眼の後ろの部分に細長いオレンジまたは赤色の斑紋があり、このことからアカミミガメと名づけられた。腹甲には甲板ごとに眼状斑がある。ミシシッピアカミミガメは、アカミミガメの一種(亜種)で、幼体をミドリガメ(緑亀)と称する。銭ガメと呼ばれることもあって紛らわしい。

 特定外来生物(特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律)には指定されておらず、要注意種とされているだけなので、現在も広く販売されている。

 日本には1950年代後半から輸入された。 ミシシッピアカミミガメのような外来種は、他にも多数のカメが日本に帰化(放流)しているようであり、その実態は不明であるといってよい。

生態

ミシシッピ川、リオグランデ川がこの亀の故郷である。原産地では比較的流量が多く緩やかな流れの河川、低地の湖沼に生息している。国内で逃亡や放流により河川、池沼、神社などの池に生息。肉食傾向が強い雑食性。藻類や水草、水生昆虫、ザリガニ、エビ、貝類、魚類等さまざまなものを食べる。雄は伸長した爪を雌の前で震わせて求愛する。交尾は春と秋にみられる。産卵は4月から7月にかけて雌が地面に巣穴を掘り、1度に225個の卵形の卵を産出する。卵は長径3042mm、短径1929mm。孵化までの日数は6575日程度。

北海道を除く日本全土に分布、最近は小笠原でも生息が確認されている。

 

 近年、カミツキガメが、分布を広げているようである。そのうち追加することになるのか。あまる嬉しいことではない。

4.その他

4.1 ウミガメ会議

1990年、ウミガメに関心を持つ人間が一度集まって情報交換をしようという話が持ち上がり、皆でビール片手に寄り集まるようになりました。それが日本ウミガメ会議です。

鹿児島市

の第1回会議を皮切りに、会議は自然と毎年開かれることとなりました。

4.2 日本ウミガメ協議会

1990 08NPO法人19908月に、それまで日本各地で行なわれていた、ウミガメ類の調査・研究・保護活動に関わる個人や団体間の情報交換を円滑に行なうための媒体として、現会長の亀崎直樹が中心になり設立した。

4.2 ウミガメニュースレター

うみがめニュースレターは、小笠原にある「うみがめニュースレター編集委員会」が発行する、日本で唯一のウミガメに関する総合情報誌です。日本ウミガメ協議会はここに、原稿の提供を行っています。

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